MLB新の20奪三振から20年!20のトリビアで試合を振り返る

Jason Foster

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私はさまざまな野球の記念日に関する話題が好きだが、それ以上にほとんどの人が忘れてしまったような補足的な情報を学んだり、学び直すことが好きだ。

5月6日は、カブスのケリー・ウッドがアストロズ戦で1試合20奪三振という記録を打ち立てた日だ。多くの野球ファンの記憶に残っている出来事から今年で20年。ロジャー・クレメンスと並び、20奪三振を達成したのは史上2人目だった。

試合のディテールに注目すると、それだけでもトリビアとなるような事実がいくつも見つかった。あなたが覚えていない、もしくは知らなかったような情報を20のリストにまとめた。ぜひ楽しんで読んで欲しい。

1. 1998年5月6日の試合はウッドのMLBキャリアにとって5回目の先発試合だった。最初4回の先発ではヒット15本、12四球を許し、防御率は5.89だった。

2. ウッドの最初の投球はジェリー・ミールズ審判のマスクに直撃した

3. アストロズのラインアップには将来アメリカ野球殿堂入りする選手が2人もいた。全盛期のクレイグ・ビジオとジェフ・バグウェルだ。

4. アストロズのシェイン・レイノルズ投手もこの試合で完投した。8回で”たった”10奪三振で8本のヒットを許したが、、、

5. 10三振の内1つはウッドから奪った。見逃し三振だった。

6. 2チームによる合計30三振はナショナルリーグ記録になった(この記録は2015年にメッツとナショナルズが35三振をマークするまで破られることはなかった。その日、ナショナルズのマックス・シャーザー投手はノーヒットノーランを達成した)。

7. 当日の風の強さは大きな問題ではなかったが、2チームで合計して空振り三振20本、空振り45本もあると観客の風当たりは強かった。

8. 空振りと言えば、ウッドはその日19.6%という確率で空振り三振した。つまり、、、打者としてはひどかったのだ。

9. 試合はたった2時間19分で終わった。ウッドが122球、レイノルズが116球投げ、カブスからはたくさんの走者が出た試合だったが、あっけなく終わった試合だった。

10. ウッドが投げた122球中、ボールはたった38球。つまり69%はストライクだったということだ。

11. カブスはプレーオフシーズンに向かう途中だった。リグレー・フィールドで行われる試合は当時もシカゴの人たちにとって大きなイベントだったし、気温は22度という過ごしやすい日だった。それでも客席に集まったのはたった15,758人。一方、その場にいたと言い張る人は106,000人くらいだ。

12. 打席に立ったアストロズ選手は全員少なくとも1度は三振を奪われたが、、、

13. クレイグ・ビジオだけが複数の三振を奪われずに済んだ。当日のウッドの優勢性を考えれば、この情報はクーパーズタウンに飾られているビジオの表彰楯に書かれてもおかしくなかった。

14. ウッドの優勢性は最初からはっきりとわかるものだったが、ノーヒットノーランや完全試合達成に向けた緊張感はなかった。3回でリッキー・グティエレスにヒットを許し、6回で投げたボールがビジオに当たってしまった。しかし、他に走者は許さなかった。

15. 試合の最初8人のバッターはみんな三振だった。7人は空振り、1人は見逃し三振だった。

16. アストロズの負けが決定的となるような場面はなかった。3回にグティエレスがシングルヒットで走塁し、犠牲バントとウッドのボークによって3塁まで進む場面もあった。

17. アストロズのジェフ・バグウェル、ジャック・ハウエル、モイゼス・アルーは9連続三振を奪われた。強打者がそろって無力になった。え?ハウエルは強打者じゃないって?いや、彼は一度バットを折りながら本塁打を打っているからね。

18. 将来MLBで監督を務めるブラッド・オースマスがアストロズのキャッチャーだった。彼は2度しか三振を奪われなかった。

19. ウッドは9回に入る時点で18三振をマークしていた。クレメンスの記録を打ち破るチャンスがあったのだ。最初のバッター、ビル・スパイアーズから三振を奪い、新記録にもっと近づいた。残念ながら、ビジオがゴロでアウトになり、新記録の達成にはならなかった。殿堂入り選手はなんて厄介なんだ。

20. ウッドのゲームスコア(ビル・ジェームズが面白半分で考案した投球内容を評価するためのセイバーメトリクス指標)では105という得点でMLB史上最高のスコアだ。どんなノーヒットノーランや完全試合を達成した投手よりも高いスコアだ。だから私はノーヒットノーランは騒がれているほど大したことじゃないと常に言っているのだ。

ボーナス:5月6日のウッドの勝利は、彼にとってシーズン唯一の完投試合で唯一の完封試合だった。

ケリー・ウッドのその後のストーリー

5月6日の試合ではアストロズが弱いチームに見えた。でも、実際はとても強かった。アストロズは1998シーズンを102勝でナ・リーグ中部地区トップに終わった。カブスとは12.5ゲーム差もあった。ピッチャーを除く選手たちではチーム打撃成績が打率.289、出塁率.357、長打率.453。こんなにも強いアストロズからウッドは20三振も奪ったのだ。

ウッドの1998シーズンはこの20奪三振がピークだったが、その後も13勝6敗、防御率3.40、166と2/3イニングで233奪三振と好投し、ナ・リーグ新人王を獲得した。前途有望なキャリアにとって間違いなく輝かしいスタートだった。しかし、1999年シーズンは怪我で1度も試合に出なかった。2001年から2003年は勢いを取り戻してオールスター戦にも出場したが、健康面が問題で2006年を最後に彼はカブスのローテーションから外れることになった。2008年にはオールスターでクローザーを務め、その後インディアンスやヤンキースで救援投手となった。

2011年と2012年にはカブスに戻り、2シーズンで65回出場し3勝、1セーブを記録した。ウッドの最後の試合は2012年5月18日、ホワイトソックスとの対戦で救援投手としての出場だった。1人のバッターと対峙し、そこでも三球三振を奪った。いい時でも悪い時でも、怪我をしている時でも、役割が変わっても、ケリー・ウッドと言えばやはり”ストライクアウト”だったのだ。

だからウッドの話は最近の野球史の中でも名場面とうたわれている。彼のポテンシャルがフルに発揮されたのが1998年、アストロズ打線を次々と倒し、野球ファンにとって最高の景色を見せてくれたあの日だった。私がウッドの名前を聞くたびに、やはり思い浮かぶのがこの場面だ。実際には見てもいないのに。

1人の選手がたった1日の功績で覚えられていたとしても、それが20奪三振という記録なのであれば、こんなに素晴らしい選手は他にいないだろう。

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原文:May 6, 1998- 20 things you might not remember about Kerry Wood’s 20-strikeout game
翻訳:Go Watanabe

Jason Foster

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Jason Foster joined The Sporting News in 2015 after stops at various news outlets where he held a variety of reporting and editing roles and covered just about every topic imaginable. He is a member of the Baseball Writers’ Association of America and a 1998 graduate of Appalachian State University.