MLBの黒歴史:キング牧師の暗殺と、史上最悪の経営陣【第2回】

Sean Deveney

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キング牧師が暗殺されたのは木曜日で、その時から球界の対応は失敗の連続だった。当時メジャーリーグはコミッショナーのウィリアム・エッカートによって率いられていたが、彼はおそらく、アメリカのスポーツ界史上、最悪のコミッショナーだった。元アメリカ空軍の中佐だったエッカートが突然有名になれたのは、リーダーとしての技量や競技に精通していたという理由からではなかった。自身の軍歴で人々を圧倒したが、水面下ではオーナーたちによって操られ、言いなりになる名目上のリーダーだったからだ。

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こんなエピソードがある。1965年の冬、リーグのマネージャーやメディア関係者に紹介された彼は、インデックスカードを取り出し、用意されたコメントを読み上げた。しかし、エッカートが航空産業の発展を賞賛し始め、軍用機の技術的進歩について語り出すと、室内には困惑が広がった。彼はその日の夜、ユナイテッド航空の幹部に向けて講演する予定だったことを忘れていたようで、間違ったメモを読んだのだ。さらにひどいのは、彼がそれを読み続けたこと。彼は、選手の「ギル・ホッジス」と「会計士のギル」の識別もできなかったのだ。

オークランド・アスレチックスの元オーナー、チャーリー・フィンリーはエッカートについて、「我々は、スポーツのことなど何も分からない、見知らぬ男に行き着いてしまった。その時私は、自分が多くの間抜けたちと一緒に座っていることに気づいたんだ」と語った。

エッカートの無能ぶりは、1968年シーズンの初めから見られた。シーズンの開幕日がキング牧師暗殺後の4月8日の月曜日に予定されていたが、その翌日にはキング牧師の葬儀が執り行われることとなっていた。当初から、球界の対応はあやふやで、混乱していた。

大規模な暴動が、ワシントンD.C.、ボストン、フィラデルフィアからシカゴ、デトロイト、ロサンゼルスにわたって発生していたにもかかわらず、球界はキング牧師暗殺の騒動の最中、オープン戦を開催したままだった。なぜなら、南部でのスプリング・トレーニングから本拠地に戻る大多数のチームが、非常に儲かる地元のライバルチームとの試合を予定していたのだ。たとえばシカゴ・カブスは、シカゴ・ホワイトソックスとの試合を、インディアナ州エバンズビルやウィスコンシン州ミルウォーキーで予定していた。

キング牧師に敬意を表し、オープン戦でプレーするのを拒む選手もいた。エッカートは、開幕日を遅らせるか、キング牧師の葬儀日に試合をするかという決断を、各チームに委ねた。スポーツ界が、力強く決断力のある担い手を最も必要としている時に、20チームあった球団オーナーたちに10試合を牛耳らせて、場当たり的な判断をさせたのだ。

第3回へ続く)

Sean Deveney

Sean Deveney is the national NBA writer for Sporting News and author of four books, including Facing Michael Jordan. He has been with Sporting News since his internship in 1997.