MLBの永久欠番について、あなたが知らないかもしれない7の事実

Sporting News Japan Staff

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MLBで最初に永久欠番となったのは?

1947年4月15日。MLBは、初の黒人選手ジャッキー・ロビンソンがロサンゼルス・ドジャースからメジャーデビューしたこの日を“ジャッキー・ロビンソンデー”とし、全球団、全選手が氏の永久欠番“42”をつけて試合に出場するという恒例行事を2004年から行っている。

特別な選手の功績を讃える“永久欠番”だが、MLBで最初に背番号を讃えられたのは、1923年から39年までニューヨーク・ヤンキースで活躍した伝説の強打者、ルー・ゲーリッグの“4”番だ。優れた打者であっただけでなく、2130試合連続出場という当時の世界記録を樹立するなどして絶大な人気を博したが、筋萎縮性側索硬化症(ALS)に倒れ、37歳で没した。引退セレモニーでの「私は幸せ者です」というスピーチはあまりに有名だ。

そのほかにも永久欠番には興味深い事実がいくつか存在する。その一部を紹介しよう。

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MLB全体で永久欠番となった「42」番

ロビンソンの“42”を最後につけていたのは、2013年に引退するまでヤンキース一筋だったマリアノ・リベラ。リベラのメジャー初出場は1995年で、“42”が全球団で永久欠番になったのはその2年後だった。なお、リベラは今年殿堂入りを果たした。

3チームで2人

3チームでその背番号“42”が永久欠番対象者となっている選手は2人。引退後は2006年までワシントン・ナショナルズを指揮し、今年83歳で逝去したフランク・ロビンソン(シンシナティ・レッズ、ボルティモア・オリオールズ、クリーブランド・インディアンス)、現在ヒューストン・アストロズでアドバイザーを務めているノーラン・ライアン(ロサンゼルス・エンゼルス、アストロズ、テキサス・レンジャーズ)だ。

監督では2人

栄光の永久欠番“42”を背負っていた監督は2人。ケイシー・ステンゲル(ニューヨークメッツ、ヤンキース)、スパンキー・アンダーソン(レッズ、デトロイト・タイガース)。

1チームで2人の永久欠番となった「31」

シカゴ・カブスでは一つの背番号で2人の選手が永久欠番となっている。1966〜73年まで所属したファーガソン・ジェンキンスと、86〜92年に所属したグレッグ・マダックスの“31”だ。ジェンキンスは91年、カナダ人初の殿堂入りを果たしている。

失効した永久欠番「5」

“42”以外に永久欠番がないチームは、93年に創設されたマイアミ・マーリンズのみ。かつてはチームの共同オーナーで、初めての試合の前に逝去したカール・バーガー氏のために、氏が好きだった選手ジョー・ディマジオの“5”を欠番としていたが、2012年に失効している。

最小と最大

選手に与えられた欠番の中で最も小さい数字は“1”。8チームが永久欠番に指定している。一方、最も大きいのはカールトン・フィスクの“72”(シカゴ・ホワイトソックス)だ。

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日本を拠点に国内外の様々なスポーツの最新ニュースや役に立つ情報を発信しているスポーティングニュース日本版のスタッフアカウント。本家であるスポーティングニュース米国版の姉妹版のひとつとして2017年8月に創刊された日本版の編集部員が取材・執筆しています。