1980年のストライキ
当時のフリーエージェントは控えめにいっても、論争が巻き起こっていた。選手たちはスプリングトレーニングの後半にストライキを実施し、最後の8日間を休んだ。フリーエージェント制以外にも懸案事項があったため、新たな合意が5月23日までに達成できなければ再びストライキを実施すると主張した。両者はフリーエージェントの補償以外は合意に達し、1980年のストライキは免れた。しかし、翌年は違った。
MORE: 今なら無料視聴可。スポーツを見るならDAZN(ダ・ゾーン)に!
1981年のストライキ
今回のストライキは見苦しかった。球団オーナー側は自身の主張を貫く構えでいたのに対して、選手側はここ数年で勝ち取った権利を一歩も譲る気はなかった。結局、フリーエージェント制度における選手喪失球団に対してドラフト選択権を付与するシステムを導入することで双方が合意した。メジャーリーグ選手会は6月11日からストライキを実施し、8月10日まで続いた。MLB史上で初めて前半と後半のディビジョンの優勝チームがプレーオフに進出することとなった。1972年に実施されたストライキと異なり、全チームが同じ試合数をしていなかったので、大混乱に陥った。
この出来事を思い出して欲しい。シンシナティ・レッズとセントルイス・カージナルスはナショナル・リーグでトップの勝率(レッズは.611、カージナルスは.578)を残したにも関わらず、プレーオフには進出することができなかった。シーズンを通してともに地区首位となる成績で終えたのにも関わらず、レッズとカージナルスは前半と後半の両方で地区2位だったからだ。カージナルスのファンには激怒する権利があった。後半ではモントリオール・エクスポズがカージナルスより1試合多くプレーして30-23、カージナルスはゲーム差0.5で29-23だった。
1985年のストライキ
忘れている人も多いだろう。このストライキはシーズン中に実施され(8月6日、7日)、キャンセルされた試合は後に埋め合わされたので、1972年と1981年のストライキのような大きな支障はなかった。ストライキは選手給付手当プランと給与仲裁手続きの資格年数についての論争だった。1985年のシーズンには影響を及ぼさなかったが、決議に対して球団オーナー(そして当時のMLBコミッショナー ピーター・ユベロスも)が不満を募らせたことが数年後の談合のきっかけとなった。
1990年のロックアウト
この論争の焦点はフリーエージェントと審判に対してだった。利益分配が関与していて、選手の最低給与が初めて10万ドルに上がった。スプリングトレーニングの開始時期も1週間遅れたが、予定されていた162試合は全てプレーされた。
1994年~1995年のストライキ
野球ファンにはまだ記憶に残っているストライキだろう。このストライキは大きな衝撃を与えた。1994年のシーズンは8月11日に終わり、残りのシーズンのみならず、ポストシーズンも中止になった。労使交渉のもつれでポストシーズンがキャンセルされるのはアメリカスポーツ史上初めての出来事である。ワールドシリーズが中止されたことで多くの野球ファンも失った。試合が再びスタートしたのは1995年4月25日。通常レギュラーシーズンが始まる時期から1か月遅れだった。162試合に対して144試合のスケジュールに変更された。唯一の良いところは、その後、再発を回避できていることだけだろう。
原文:Baseball strikes and lockouts: A history of MLB work stoppages
翻訳:日本映像翻訳アカデミー
▶スポーツ観るならDAZNで。1ヶ月間無料トライアルを今すぐ始めよう
【DAZN関連記事】
● 【必読】DAZN(ダゾーン)の"トリセツ" 最新・2018年版!
● ネットでプロ野球中継を視聴する方法を紹介
● DAZNでのプロ野球の放送予定や試合スケジュール
● DAZNでF1放送を視聴する方法は?
● 【最新・2018年版】F1の放送予定・レース日程まとめ
● ネットでMLB中継を視聴する方法を紹介
● MLBの試合日程・放送予定|テレビでの視聴も可能?/2018シーズン