【後編】野球とはロマンチックなスポーツである

Joe Rivera

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こういった瞬間は、他のスポーツではなかなか見ることができない。長年ファンを続けている人たちは、客席上段にぶち込まれるホームランや、三塁側のファウルエリアから投げられる豪速球といった派手なプレイだけではなく、こういったことに魅力を感じているのだ。野球は、様々なプロットや伏線が絡む、162話にもわたるTV番組なのだ。そして時にはつまらない時間だってある。それでも、友人や他のファンと一緒に登場人物や多くの出来事について議論したいがために、見続けるのだ。

 

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しかし野球に対する嫌悪感は、ファンだけのものではない。

今年野球を追い続けたことで気づいたのは、取材している側の人間もそういった少年の心を失っているということだ。彼らを批判したいわけではない。仕事は仕事だ。しかし、チームが徐々に結束して行くさまや、チームがともに敗北を覚えるさまを追い続けることには何か特別な感覚がある。誰も期待していないチームであろうと、優勝候補であろうとチームを追い続けることには『何か』があるのだ。

映画『フック』でロビン・ウィリアムズがそうだったように、彼らは大人になったことでネヴァーランドを去ってしまった。飛び方や、些細なことで楽しむ方法を忘れてしまったのだ。読者にとって私はルフィオ的な存在であれば嬉しい(ティンカーベルでもいい)。

確かに野球を見たり、取材したりするのが辛いこともある。野球には他のスポーツのような必然的な暴力性や、身体能力的なスリルが少ない。しかしハートは確実に存在する。ソウルがあるのだ。野球は今の新しいソーシャルメディアの速報性や、最新テクノロジーをうまく使えないかもしれない。多くのファンにとって、それで全く問題ないのだ。

野球は目だけではなく、ハートを通して見るものなのだ。4月の空に、スタジアムから野球ボールが飛び上がることが、素晴らしい景色になり、強い感情をわき起こし、時には胸を張りさくことになるのには理由があるのだ。

そして5月に、完璧に刈り上げられた草と野球場に立ち込めるホットドッグの匂いが「良い時間」をもたらしてくれることにも理由があるのだ。

ここ10年ほどの野球界のありかたや、失われていくファン層についていくらでも議論できるだろう。ステロイドが野球を汚したかどうか。ボールの「飛びすぎ」問題。ブライス・ハーパーがクソ野郎かどうか(ちなみにそんなことはない)。議論するのは、情熱を持っているから。気にかけているから。

ボールを持った選手に対して、もうひとりが棒切れで打とうとすることについて、150年間もファンが議論し続けるスポーツでいてくれている野球に感謝したい。バルトロ・コローンがフルスウィングしてヘルメットが脱げ落ちたり、カルロス・ベルトランがワールドシリーズ第7戦後に号泣するような人間的な一面を見せてくれて、ありがとう。

映画『マネーボール』でブラッド・ピットがこう言っている。

野球についてロマンチックにならないのは無理だろ?

人生の幸福、そして時には苦悩を約束するダイヤモンドの指輪と、野球のダイヤモンドにはもしかしたら偶然の繋がりがあるのかもしれない。

もしかしたら偶然ではないのかもしれない。

原文:The human side of baseball is the greatest thing in baseball this year

翻訳:大西玲央

Joe Rivera