投票者が選べる候補者を毎年わずか10名と定めたルールから、広く定義された人格に関する条項まで、野球殿堂ファンにとって投票のプロセスはユニークなものであり、時には理解するのが難しい時もある。
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2008年から米野球殿堂の館長を務めるジェフ・アイデルソンは、野球殿堂の上級スタッフチームと取締役会と共に、過去10年に渡って変化し続けている投票制度の定着に取り組んできた。彼は、投票プロセスのあり方などいくつかの主要な問題について意見を述べた。
スポーティングニュース(以下SN):投票者たちが候補者を毎年10名しか選べないルールは、野球殿堂の選出プロセスの中でも最も厳しく議論された部分です。このルールによって殿堂入りに相応しい選手の選出が阻まれ、候補者に相応しい選手が最低5パーセントの投票を得られず候補から姿を消しているとの批判もあります。この「10のルール」が実際にうまく機能しているのか心配はありませんか?
ジェフ・アイデルソン(以下JI):いいえ、この投票方法が機能するのかという点に関してはまったく心配していません。すべての投票者は自身の投票権をいかに行使するのかを決定しなければいけません。我々は、10が公正でちょうど良い数だと感じています。一般的に、投票者は平均して7.5~8.5人の選手に投票しているので、10の投票権すべてが常に使われているわけではありません。結局のところ、選出された選手たちはこの場所に相応しい選手であり、我々は選手たちのキャリアを永久に見守ることを可能にするプロセスを有しています。これはつまりベテランズ委員会の選考プロセスのことであり、除外される選手は一人もいません。
SN:毎年、多くの投票者が「選出に値する選手が10名以上いる」と話しています。あなたは10がちょうど良い数字だったと発言していましたが、これからは10以上の投票を許可するべきなのではありませんか?
JI:10こそが適正だと感じています。しかし、議論が起こることは理解できます。投票権が10から拡大されるのを待ち望んでいる人々も多くいます。ただ、10よりはるかに少ない数字で満足な人々もまた数多く存在しているのです。実際には7.5~8.5の投票が平均であり、現状に満足しています。3~4年前、BBWAA(全米野球記者協会)が上限を12に引き上げるように組織全体で我々に働きかけてきたことは知っていますが、月日が経つにつれて投票方法が変わっていくのを鑑みると、我々は投票権を最大10にして本当に、本当によかったと感じています。
SN:当初は獲得票数が少なかったものの、最終的に記者からの票を集め殿堂入りを果たした選手も数名います。バート・ブライレブンがその代表格でしょう。しかし、5パーセントの得票率を得られずに(ルー・ウィテカーやケニー・ロフトンのように)候補から外されてしまうと、選手たちはその後票を伸ばす機会を得ることができません。このプロセスによって選手たちがあまりにも早く、そして熟考される時間が与えられる前に候補から姿を消すことになってしまうという懸念はありませんか?
JI:懸念はありません。これによってバランスが取れていると考えています。得票率5%以下で候補から外れるルールがなければ、候補者の数はいつまでも増え続けてしまいます。したがって、候補者たちの選出の可能性を少なくしているのです。候補に残った選手たちは間違いなくその位置に値する選手だということで、我々も満足しています。理由は多かれ少なかれ、あっという間に候補から外れてしまう候補者も出てきてしまうことでしょう。しかし、だからといって彼らが二度と候補に挙がらないというわけではありません。
SN:野球殿堂で、人格に関する条項は多くの論争を呼びました。あなたは、善良なスポーツマンや人々が殿堂入りすることを望んでいます。その一方で、選出に求められる人格は漠然としか定義されていません。特にPED(運動能力強化薬物)が蔓延していた時代に活躍した選手が善良であるか否かを判断することは、投票者にとって非常に困難です。そして、多くの人々は選手たちの人格を判断する責任を負いたがっていません。人格に関する条項を定義するのは困難なのでしょうか。また、この条項に従うことによって野球殿堂の有用性が失われてしまっていないでしょうか?
JI:そうは思いません。人格というのは、あなたの選出基準からは外れているかもしれませんが、その考えは野球殿堂と我々の投票には何の意味もなしません。すべての投票者は、彼らにとって「人格」が何を意味するのかを判断する必要があります。条項は、選出するためのガイドとなることを意図しています。「この選手は試合に敬意を払っていたか? ユニフォームに敬意を払っていたか? 試合に対するリスペクトに関して、この選手の行動に誇りを持つことができるか?」と尋ねているのです。
水晶玉が常に水晶とは限りません。時として、そこには曇りがあります。人格の条項は投票の側面の一つに過ぎず、当然、当時所属していた球団への全体的な貢献度が最も重要です。しかし、この条項が導入されているのにも理由があります。ある種の産業、そしていくつかのスポーツは高い基準を守る必要があり、野球はそうしたスポーツであり、我々の考えでは野球界はそれができていると思います。
SN:おっしゃる通り、野球界では高い基準が守られる必要があります。しかし、リーグ統合以前に球界にカラーラインを設けていた選手など、人格の優れていない人物がすでに殿堂入りしているとの声も多く挙がるでしょう。このような選手が現在も野球殿堂で称えられている中で、いかにして選手たちに高い基準を保つようにと主張することができるのでしょうか?
JI:毎年投票の時期が近づくたびに、選手たちが今日の社会に適しているのかという観点でこのルールを見なければいけません。昔に遡って過去の歴史に目を向けることはできません。なぜなら、今と昔では社会のルールが違うからです。
1945年に導入された人格条項がありながらも、過去数名、基準にそぐわない人物が殿堂入りしていることをあなたは不思議に思っていることでしょう。そうした人物は我々の国が今とは全く異なる時代を歩んでいた時に選出されました。そして、当時は人格条項の捉えられ方も今とは異なっており、その時代を反映したものとなっています。今生きている時代を理解し、その時代の基準に人格条項を適用する必要があるのです。
SN:そのお話が意味しているのは、今日では選出が見送られるであろう人柄や価値観を持った人物でも野球殿堂から除外されるべきではない、とあなたが考えているということでしょうか?
JI:そうではありません。現時点では、過去に選出された人物たちに満足しているということです。彼らが選出された時からずっとです。野球殿堂から誰かを除外する予定はありません。
SN:どうして野球界の事情で人格が問題になると考えるのですか? 他のスポーツの殿堂では、選考プロセスにおいて人格にこれほどの重きを置いていません。あなたの見解では、どうして野球殿堂は人格を中心に置くのでしょうか?
JI:おそらく、我々はアメリカの文化と歴史の大部分を担ってきたからでしょう。そして、我々の国で人格は大きな問題だからです。野球はこの国自体を反映しているのです。
人生は選択肢に満ちています。人格はどんな風にでも決められます。どんな人物が評価されるべきかについては、誰もが異なる意見を持っていることでしょう。この指針のポイントは、選出の対象になっている人物が球界の顔に泥を塗ることがないことを確実にすることです。
(後編へ続く)
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