【第6話】伝説のナックルボーラー、フィル・ニークロの野球人生最後の1日

Jason Foster

【第6話】伝説のナックルボーラー、フィル・ニークロの野球人生最後の1日 image

第5話はコチラ

 

永遠のプライド

ブレーブスは9月27日の試合の前に、翌1988年にニークロがプレーしないことを確約させた。彼はそれを受け入れ、引退の決断を悔やんでいなかった。

それから数カ月経ってから、ニークロはまだ何試合か投げられるのではないかと自問することがあったが、復帰を模索することはなかった。

ニークロの生涯成績は次の通り。

318勝274敗
防御率:3.35
投球回数:5,404回
奪三振数:3,342
WAR:96.6

MORE: “今なら無料視聴可。ワールドシリーズを見るならDAZN(ダ・ゾーン)に!

ニークロの現役引退から30年が経過したが、彼はその後も時折、野球のユニフォームを着ている。1991年にはブレーブスのマイナーリーグの監督を務めた。コロラド・シルバー・ブレッツという女性ばかりの独立チームを率いたこともある。このチームは全米の男性チームと対戦した。今はもう解散したが、ニークロはこのチームが存在していた4年間、監督を務めた。

ゲストコーチとしてもブレーブスのユニフォームに袖を通している。今シーズンの春のキャンプでは、78歳になった今も打撃練習でボールを投げていた。

1997年には野球殿堂入りを果たした。候補者に選出されて以来5年目の投票で、80.3%の得票率を獲得。野球人生の劇的なフィナーレを飾ったアトランタ・ブレーブスの「A」のロゴをつけて殿堂入りしている。

野球殿堂入りのスピーチでは「私が生まれ、そして引退したアトランタ・ブレーブス球団に感謝したい」と述べた。

スピーチの最後の部分は非常に重要である。彼は最後に、1987年のあの試合で一度投げただけだった。もしそれが実現していなかったら、もしブレーブスが拒否していたら、スター選手としての実績に穴ぽっかりとした穴が空いていたかもしれない。といっても、彼自身が「ノー」と言っていたかもしれないが。

まじめな顔で彼特有のジョークを言う。

「球団はボクにうんざりしていたんじゃないかな。ボクもうるさく追い回していたかもしれない」

ニークロはこれまで数十年、選手、監督、コーチ、そして1人のファンとして、ブレーブスを代表する人物の1人であり続けた。

「テレビでいつも見ている。ゲストコーチとしてボールも投げている。どこへ言ってもアトランタ・ブレーブスの帽子を被って、ボクがブレーブスのファンであること、昔ブレーブスでプレーしていたことを教えてあげるんだ。アトランタ・ブレーブス球団のことは誇りに思っているよ」(ニークロ)

紆余曲折と長い年月を経て、ニークロはブレーブスを愛してやまない。

ニークロはやはりブレーブスのユニフォームが似合う。

ブレーブスのユニフォームを着ているから、フィル・ニークロはフィル・ニークロでいられるんだ。

(完)

原文:Back Where He Belonged

Jason Foster

Jason Foster Photo

Jason Foster joined The Sporting News in 2015 after stops at various news outlets where he held a variety of reporting and editing roles and covered just about every topic imaginable. He is a member of the Baseball Writers’ Association of America and a 1998 graduate of Appalachian State University.