第4話はコチラ
感動的な別れ
初めの数イニングは完璧なストーリーだった。しかし、野球というドラマは時に非情だ。
3回までのニークロが幸運だったとすれば、その幸運は4回表に尽きた。先頭のロビー・トンプソンが二塁打で出塁すると、ウリベが適時打を放ち、トンプソンがホームを踏んだ。
この時点で、スコアは5-1。
続くデーブ・ヘンダーソンが四球で歩き、エディー・ミラーの単打で満塁。次のミッチェルは押し出しの四球で1点追加、5-2となった。
MORE: “今なら無料視聴可。ワールドシリーズを見るならDAZN(ダ・ゾーン)に!この時点でまだ無死満塁。劣勢は明白だった。
ブレーブスのチャック・タナー監督がマウンドに歩み寄った。これで万事休すだ。
ターナーは言った。
「ニークロ、お前を今日の敗戦投手にするわけにはいかないんだ」
タナーがブルペンにサインを送った瞬間、スタジアムは大きく揺れた。
ニークロは、救援投手のチャック・ケアリーにボールを渡した。タナーはニークロの腕に手を置いた。彼はニークロをそこにとどまらせた。センターの大スクリーンに、ニークロのこれまでの活躍をまとめたハイライトの映像が映されようとしていたからだ。
ニークロと長年、バッテリーを組んだ捕手のブルース・ベネディクトも加わり、ニークロに腕を回した。だが、ニークロはこの引退ショーに少し戸惑っていた。ダグアウトから見ている方が気が楽だった。彼は普通のゲームで、普通に退場したかったが、その希望は叶わなかった。
タナーに寄り添われながら、ニークロはマウンドから1塁側に歩き始めた。
ニークロが階段を降りてダグアウトに入ろうとすると、観客は再び大きな声を上げた。彼はなかなか引き上げさせてもらえなかった。ファンは最後の挨拶を要求し、ニークロはそれに応じたが、それでも十分ではなかった。タナーは、映像が終わるまで一塁線上に立つようにニークロに命じた。
それからまもなくニークロはダグアウトに入り、両手を振り上げて観客に感謝の意を示した。そして、もう一度グラウンドに出て、観客席にいる彼の家族に手を振った。それから、ようやく選手として最後の階段を降りた。
ニークロがグラウンドから去ると、スタジアムの空気は野球の戦いという現実に引き戻された。
ブレーブスの左腕ケアリーに対し、ジャイアンツは右のキャンディ・マルドナードを代打に送った。マルドナードは逆転の満塁本塁打を放ち、ニークロ引退ムードに沸くスタジアムに冷水を浴びせた。
スコアは、6-5でジャイアンツが1点リードとなった。
ニークロはタナーに「俺が続投していても同じことになったぞ」と言った。
ニークロが退き、ブレーブスが逆転されると、ファンは群れを成して帰り始めた。
「ヘンリー・アーロンが715号本塁打を打った夜以来、こんなことは見たことがありません」とキャリーは実況中継の中で述べた(ブレーブスに所属していたアーロンは1974年4月8日、フルトン・カウンティー・スタジアムでベーブ・ルースの最多本塁打記録を更新した)。
ニークロの最終試合の成績は、投球回数3回(4回無死で降板)、被安打6、自責点5、四球6。勝敗はつかなかった。
「チームのためではなく1人の選手のために試合を指揮したのは、17年間で初めてだ。フィル(・ニークロ)を敗戦投手にしたくなかったんだ」とタナーは記者団に述べた。
ニークロは敗戦投手を免れたものの、ブレーブスはその後大差で敗北した。ジャイアンツはその後も5イニングで追加点を重ね、15-6で勝利し、ナ・リーグ西地区で同率首位に浮上した。
このゲームの後、ニークロは引退を表明した。もう難しい決断ではなかったが、それでもまだ彼の感情は複雑だった。彼の野球人生で一番輝いている時に、ブレーブスの一員として引退したいという思いが強かった。
「最後の試合だと分かった上で登板したんだから、野球人生で最悪の日でもあったんだ」(ニークロ)
フィル・ニークロの野球人生最後の1日は、こうして幕を閉じた。
(第6話に続く)