「世界最高の番組だ!」
『10月までの長い道のり』は、1983年3月28日から2夜に分けて、WTBSで放送された。ターナーとクルーたちは、アトランタのレストランの個室で、試写会を行った。
番組のレビューは、満場一致で肯定的だった。特にターナーは、約18カ月前に企画したアイデアが実現されたのを見て、部屋中を周って、大声で皆を褒めたたえた。
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「世界最高の番組だ!」それが、その晩のターナーの評価だ。
「テッド(・ターナー)は自慢していた。この番組は、彼の子供だったんだ。最初から、彼のアイデアだった。それを見て、彼は興奮していたよ」ダイヤモンドは語った。
ターナーが求めていたものは、優良なエンターテイメントだった。
「彼は拍手をしていた。1人のファンのようだったよ。すごく面白かった。放送日にはテッドと一緒に番組を見て楽しんだよ」ダイヤモンドは語った。
あとから考えてみると、この番組がドラマチックな1982年シーズンに制作されたことは偶然だった。たぶん、ターナーには、良いことが起きる予感があったのだろう。あるいは、全ては運だったのかもしれない。
賛辞は、WTBSの内輪に留まらなかった。ハンソンとダイヤモンドがエミー賞について冗談を言い合ってから1年以上が経過し、その言葉が本当になった。テレビ界の最高名誉、エミー賞を獲得したのだ。
ダイヤモンドとハンソンだけでなく、オルティス・グズマン、ノーランドとディレクターのマーク・ジョンソンもエミー賞を受賞した。
1984年、『10月までの長い道のり』でエミー賞を受け取る、グレン・ダイヤモンド(Photo courtesy of Glenn Diamond)
エミー賞のあと、ケーブルテレビ優秀賞も受賞し、彼らの仕事は認められた。これにより、また別のドキュメンタリー番組を撮ることになった。
『10月までの長い道のり』の成功により、ターナーは、ブレーブスを中心とした舞台裏の番組を2つ作ることになった。『2つのシーズンの物語』(A Tale of Two Seasons)(1984年)と『縫い目の向こう側』(Baseball Behind the Seams)(1985年)だ。
『2つのシーズンの物語』は、2年連続でナショナルリーグの地区優勝を目指していた1983年シーズンの最終月に焦点を当てたもので、『縫い目の向こう側』は、1984年シーズンを通し、異なるキャリアの4人の選手を中心とした出来事を、より深く踏み込んだ内容にしたものだ。前者のナレーターには、再びバーバーが召集され、後者にはトーリがカーク・ダグラスをナレーションに迎え入れた。
2つの番組は独自のアプローチやメリットで、それぞれ成功を収めたが、『10月までの長い道のり』は、3部作の中でも、依然として傑出した存在である。それはダイヤモンドにとっても同じことだ。
「13連勝や、地区優勝、舞台裏のシーンなど、『10月までの長い道のり』は、その全てにおいて唯一無二であり、そこで起きたドラマは、この番組を一歩前に押し上げた」ダイヤモンドは語った。
業界の賞賛と賛美は別にして、長年にわたって楽しまれる番組となった。
このドキュメンタリー番組は、ダイヤモンドのスポーツ報道のキャリアを後押しするものとなった。その後は、ターナースポーツで長きにわたり、ブレーブスの試合やイベントをプロデュースし、近年ではスポーツネットLAでドジャースの試合をプロデュースしている。
『10月までの長い道のり』を制作したことで、ダイヤモンドは野球を感じることを学んだ。ただ、傍観するのではなく、実際に感じて参加するのだ。野球のフィールドの内外に及ぶこれらの教訓は、制作から35年が経った今でも受け継がれている。
「『10月までの長い道のり』は、僕の人生において、プロの仕事を象徴するものだ」ダイヤモンドは語った。
(第12話につづく)