【第10話】MLBドキュメンタリー番組『10月までの長い道のり』制作秘話

Jason Foster

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「ありのままをカメラに収める」

 

ブレーブスがプレーオフに敗退したことで、ダイヤモンドとディレクターのマーク・ジョンソンやその他のクルーは、400時間に及ぶテープをまとめるだけでなく、魅力的な番組に仕上げるための編集作業に取りかかった。

映像をどう選び、どんな構成にするのか?予期しなかった野球のドラマと、当初から決まっていた貴重な舞台裏のシーンの数々をどう見せるべきか?

 

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編集のプロセスは、撮影と同じくらい手間のかかるものだった。

シーズンを通して、予想外の貴重なシーンがたくさんカメラに収められた。白熱した議論、気さくな会話、どんちゃん騒ぎなどだ。それらを見つけ出し、1つの番組に編み上げていく作業は、1つの挑戦であった。

「僕は例えば、『それは、6月21日の5イニングだ』と、当てるのが得意だった。記憶しておくことは、自分の仕事の一部だと思ってたから、たくさんメモを残していた。いつ、何が、どう、そして番組の中でどんなパートになるのか、記憶する必要があった。

ターナーとWTBSの幹部は、基本的に編集作業には口を出さず、チームを褒めたたえるなどして、ドキュメンタリー番組の信頼性を妨げないようにした。

「決して、『ここをカットしろ』とは言われなかった。基本的に、それはありのままの様子だった。ありのままをカメラに収めたものだ」ダイヤモンドは述べた。

この編集プロセスは、新しい工程も作り出した。最も顕著なものは、これ以降80年代のスポーツ番組の定番となった、ハイライトで音楽を使用することだ。

ハイライトシーンで音楽を挿入し、主要なテーマを際立たせる編集は、1982年にはまだ、斬新な制作テクニックであった。クルーは、山のように多くの映像の中から、繰り返しインスピレーションを得た。ドン・ヘンリーの『ダーティー・ランドリー』、ポール・サイモンの『スリップ・スライディン・アウェイ』、ビリー・ジョエルの『プレッシャー』などのポップスだ。

これらポップカルチャーとの交わりは、80年代初め、数多くのエンターテイメントがあふれる中で、番組を際立たせ、視聴者の興味を引くための策であった。

つまり、面白い場面を作り出すことだ。

「視聴者が分かりにくいものや、覚えにくいものを探していた」ダイヤモンドは述べた。

音楽を挿入することは、高価なライセンス契約が必要であったが、ターナーの『いくらでも良い』という言葉がそれを可能にした。

しかし、全ての曲を簡単に使えたわけではない。

ポインター・シスターズの『アイム・ソー・エキサイテッド』の使用に関しては、最終的にハンソンは、メンバーの知り合いである社内の女性を介してアプローチした。

「彼女を何とか巻き込んで、最後の曲の使用が認められた。すごく良かったよ。既にその曲を挿入してたからね」ハンソンは語った。

アトランタの作家、ジム・ヒューバーがナレーションの脚本を担当した。ハンソンは、全国的に有名な信頼のおける親しみやすい『野球の声』を持つ人物をナレーターに採用したかった。しかし、ビル・アレンは都合がつかず、ビン・スカリーはドジャースとの関係性が深すぎた。そこで白羽の矢が立ったのが、レッド・バーバーだ。

ハンソンは、それが素晴らしい選択になることを願った。まだ、インターネットが普及する前の話である。

「レッド(・バーバー)が生きてるのかどうかも分からなかったんだ」ハンソンは述べた。

バーバーは健在だった。殿堂入りアナウンサーのバーバーは、その15年以上前にリタイアし、野球からは離れていた。しかしダイヤモンドは、フロリダのバーバーを訪ね、プロジェクトに参加するよう説得したのだ。

「これ以上ない出来になった。プロの仕事だよ。彼は仕事に誇りをもっていた」ハンソンは語った。「当時、彼は80代だったと思うけど、プロジェクトに積極的に参加してくれたんだ。」

編集作業、音楽のライセンス問題、バーバーのナレーション、その他の制作にかかる技術的な側面など、プロセスは無限に続くように思えた。

番組タイトルの問題も浮上した。結局、解決策は常に彼らの目の前にあった。
「ある日、作業中に誰かが言ったんだ。『これは大仕事だ。10月までの道のりは長い』ってね。そこで、僕はこう言った。『それだよ!それをタイトルにしよう。我々の実感だ』」

第11話につづく)

Jason Foster

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Jason Foster joined The Sporting News in 2015 after stops at various news outlets where he held a variety of reporting and editing roles and covered just about every topic imaginable. He is a member of the Baseball Writers’ Association of America and a 1998 graduate of Appalachian State University.