元記事:A Hiro on two continents: Tanaka’s big-game success dates to high school
(2017年10月18日公開)
甲子園での日々からヤンキースに来るまでの間、田中は何度も大舞台に立ってきた。
松坂大輔が保持していた高校野球での奪三振記録を破った2006年のシーズン後、田中は日本代表チームに加わりアメリカへと旅した。そのすぐ後、田中は日本プロ野球にドラフトされ、東北楽天ゴールデン・イーグルスと複数年契約を結んだ。
2008年には北京オリンピックで日本代表として投げ、7回1失点を記録。2009年のワールド・ベースボール・クラシックでも日本代表入りし、準決勝で投げて優勝に貢献した。日本野球史上でもっとも素晴らしいシーズンを送った2013年にも、ワールド・ベースボール・クラシックに出場した。
田中は2013年、27試合で24勝0敗、防御率1.27を記録し、プレーオフでさらに2勝を加えた。日本ではワールドシリーズに相当する日本シリーズの第6戦、田中は完投したが、敗戦投手になった。
しかし、それは関係なかった。高校時代と同じように、田中は翌日の第7戦にも投げてセーブを挙げた。今回は、チームは優勝した。
それが、田中が日本で過ごした最後のシーズンだ。スポットライトを浴びる舞台で活躍できることを確信し、ヤンキースは田中がアメリカにやってくることを受け入れた。
「日本で野球はとても人気だから、彼はもっとも大きな舞台でプレーして成功を収めたんだ」キャッシュマンは言った。「ニューヨークの重圧に負けないかどうかを知る上で、私たちにとってそれはとても重要な要素だ。彼は国全体の期待に応えてきたから、ここ(ニューヨーク)でも大丈夫だろうと考えた」
とはいえ田中は、母国と国際舞台でのあらゆる経験を含めても、直近2試合のポストシーズン登板に備える上でもっともためになったのはアメリカでの経験だと言った。2015年のワイルドカードゲームで2点を失った田中は今、MLBのポストシーズンで勝つためには何が必要かを知っている。
「日本でも同じようにプレッシャーはあったと思う」田中は言った。「僕が今のピッチャーであるのは、間違いなく日本での経験があるからだ。でも、もっとも大きいのは、2015年のワイルドカードゲームを経験できたことだ。その経験は、今のようなピッチングができることを助けてくれていると思う」
ア・リーグ地区シリーズ第5戦、田中は過去2試合のピッチングを再現することを狙う。もし勝てば、ヤンキースはワールドシリーズ進出に王手をかける。
キャッシュマンは、彼が期待に応え続けてくれることを望んでいる。
「それができる人と、できない人がいる。とても若い頃から、彼は特別だったんだ」ヤンキースGMは田中について語った。「彼は世界の両側でそれを成し遂げ、今も続けている。彼が私たちを選び、私たちが彼を選んだのはラッキーだった。ここまで、とてもうまくいっている」