名選手ヘルナンデスにインタビュー【後編】メッツへのトレード打診は「知らなかった」

Dave Jordan

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(前編から続く)

ここで、会話が興味深い方向に転換した。カージナルスの歴史の中で、最も顕著な瞬間は1980年のオフシーズンだ。ハーゾグがメジャーのロースターの約4割にあたる選手をトレードで放出したのだ(トレードに出されたのは合計9名の選手。そのうち6名が先発投手で、ローリー・フィンガーズはカージナルスに移籍してから1週間以内に放出された)毎日、憶測記事が紙面をにぎわせた。デイリーニューズ紙のアーカイブに深く眠っていた1つの記事が明らかになった。

(記事)

「トレードをするつもりだ」カージナルスのGMは述べた。「シモンズもしくはヘルナンデスを放出し、ピッチャーを補強する。優勝するためには必要なことだ」。

ワールドシリーズの際、メッツは、ヘルナンデスと引き換えに、ニール・アレン、ティム・リアリー、ダグ・フリンのトレードのオファーを受けた。メッツはこれを拒否。しかし、(フランク・)カシェン(メッツのGM)は、ハーゾグ及びカージナルスとトレードに関する話し合いを再開したと述べた。「彼らと再び話し合いの場を持つつもりだ」。 

 

SN:ホワイティがメッツに対して、ティム・リアリー、ダグ・フリンとニール・アレンと引き換えに、あなたをトレードする申し出をしていたことを知っていますか? 

KH:知らないよ。誰が欲しかったって? 

 

歴史的、データ的に見ても、ダグ・フリンは大きな数字を残したというわけではないが、1980年シーズン、彼は二塁のレギュラーを獲得した。ティム・リアリーは、球団にとって有望な新人だったことは、当時の筋金入りのメッツファンだけは覚えている。ニール・アレンは貴重なトレードの切り札だったが、チームの成功に不可欠な選手ではなく、火消し役はルーキーのジェフ・リアドンに取って代わられた。(リアドンは、キャリアで16シーズンを投げ、現在セーブ記録の歴代10位である) 

 

SN:ニール・アレン、ティム・リアリーとダグ・フリンです。 

KH:1980年に僕はトレードに出されるところだった?何てことだ。もし、ホワイティがそれを望んでいたとしたら、彼は取り乱していたんだ。興味深いね。 

このことが説得力のある仮定のシナリオとなった理由は、ウインターミーティングの3日後に、メッツが一塁手としてラスティ・スタウブと契約を結んだからだ。 皮肉なのは、ヘルナンデスとスタウブの友情はよく知られたものだったことを考えても、トレードが成立しても、少なくとも1981年シーズンは、スタウブがニューヨークの古巣に戻ってくるとは思われてなかった。 

SN:その1週間後のAP通信の記事でも、ハーゾグは自身のトレード計画に関して、1980年12月のカージナルスの状況について語っています。 

 

(記事)

セントルイス・カージナルスの監督兼GMは、投手を獲得するために、一塁手のキース・ヘルナンデスと捕手のテッド・シモンズを喜んでトレードに出すと語った。

ハーゾグは月曜日の夜に祝賀会で、翌週にダラスで開催されるウインターミーティングの前に、優秀なリリーフ投手と先発投手を獲得したいと述べた。

「チームで放出できない唯一の選手は、ガリー・テンプルトンだ」ハーゾグは述べた。「差し迫った契約があるから、セントルイスに戻るよ」。

 

KH:何てことだ。本当に?彼はウソをついていたと思う?

 

往年のカージナルスファンならもちろん、多くの野球ファンは、このリアクションに納得できるだろう。続く1981年シーズン、ハーゾグはテンプルトンをパドレスにトレードしたのだ。代わりに獲得したのは、その後カージナルスでファンから愛され、殿堂入りを果たす、オジー・スミスだった。

 

KH:ガリーは素晴らしい選手だったが、ホワイティは時々ウソをつくことを楽しんでいた。彼がブルース・スーターとローリー・フィンガーズを獲得しようとしていた時に、ニール・アレンまで取ろうとしていたとは考えられない。 

SN: 1982年、ハーゾグはアレンを獲得しました。その後1983年6月、結局あなたは、プロスペクトのリリーフ投手、リック・オウンビーと引き換えに、トレードでメッツに放出されました。 

KH:ニール・アレンは素晴らしい投手で、何年も活躍したけど、まさかね。 

SN:もう1つ質問です。1982年、カージナルスは出塁率と盗塁数でナ・リーグのトップに立ちましたが、得点数では5位、本塁打数では最下位でした。10本以上のホームランを打ったのは、ポーターとヘンドリックだけでした。今、このようなチームを作ることは可能ですか? 

KH:誰も望まないよ。そんなチームと対戦はしたいけどね。人工芝という事実は関係ないよ。今の芝は人工芝みたいだからね。僕らは、うまくやってのけると思う。今の選手は、ランナーを留めておく方法を知らないんだ。 

SN:ランナーを留めておくとは面白いですね。あなたが一塁で、ランナーの前に立っていたのを覚えています。ジョン・オルルドも同じように守備していたことを思い出しました。2018年現在、内野の守備コーチたちが、なぜ史上屈指の一塁手に守備の戦術を見習わないのか理解できません。 

KH:僕が走らせなかったのは、足の速くないランナーだけだよ。ビンス・コールマンのような俊足の選手は止めることができなかった。僕の知ってる足の遅いランナーは盗塁する気はなかった。牽制球を受けたり戻したり、隙を与えないようにするのは、骨の折れることだよ。 

SN:現在、同じことをする選手はいますか? 

KH:ケン・ボイヤーに常に言われていた。一塁線を抜かれるよりも、盗塁の方が痛いんだ。だから、できるだけ阻止しなくてはならない。隙を与えるなってね。そのためには、たくさんの努力が必要だ。あまりうるさく言いたくはないが、今の一塁手の多くは、ほとんど動かず手を抜いている。 

SN:11歳のあなたに天性の才能があることを見抜いたお父さんが、あなたに野球をやらせようと執拗に無理強いしたことについて、多く書かれています。現在、この国でトラベルリーグの人気が高まっていることに対し、お考えがあるようですね。投球数が多いことで、腕を壊してしまうというデータもあります。10代の高校生の頃、1年を通して全力で投球することが大きな問題であると、私は思っています。 

KH:1つのスポーツだけに従事してはいけないと思う。それでは疲れ果ててしまう。それぞれのスポーツで鍛えられる箇所は様々だ。僕は高校時代、秋にはフットボールをやっていた。バスケットボールでも、コートを駆けずり回って、体を鍛えていたよ。その後、野球をやると、足が速くなり三塁打を打てる。ベビーブーム世代だから、当時、街のリーグにはたくさんの子どもたちが参加していた。競争は激しかったよ。今のトラベルリーグは、金もうけ主義だと思う。リトルリーグの優れた点は、誰でもプレーできるところだ。トラベルリーグでは遠征費がかかり、それを親が負担する。経済力のない家庭の子どもは、ひどい目に遭うんだ。僕は、そういうのは全く好きじゃない。 

SN:私の独自の調査によると、この3年、ワイルドピッチの数が史上最も多くなっています。なぜ、このようなことになっていると思いますか? 

KH:仮説にすぎないが、こう思う。スカウトと話をして分かったが、彼らが求めているのは、強いボールを遠くに投げられる子どもたちなんだ。ピッチングではなく、投げられる選手でいい。ノーボール、2ストライクのカウントから、フルカウントになる場面を何度も見ているが、すごく腹が立つよ。打者をアウトにできず、ひどい結果になる。ホワイティもこれに同意するだろう。僕らは投球数についてたくさん話したんだ。常にフルカウントになる現代の野球では、7イニングを投げ切ることはできない。強い球を投げられても、ピッチングを熟知している選手はいない。それが、今の野球界の実力だ。 

SN:本の中で、あなたはロン・ダーリングと話している3Aでの逸話がとても面白いです。デービー・ジョンソンがロンに「後始末は自分でしろ」と言い放った逸話です。ティム・マッカバーが、ロンが出場せず5イニング、6失点で敗れた1984年のフィリーズ戦で、この件を引き合いに出したことを特に覚えています。監督たちが先発投手に、「痛みを知って学ばせる」べきだと思いますか? 

KH:いや、ピッチャーを子ども扱いすることは間違ってるよ。ケガから復帰した投手ではなく、先発要員の投手が投球数を制限することを軽蔑する。投球数が決まっていたとしても、いいピッチングをしていたら、2アウトでランナーがいる状態で、先発投手に続投させるだろう。そのイニングは彼に任せる。そしてこう言うんだ。「彼に自信を持ってほしかった」ピンチを乗り越えれば、自分に自信を持つ。頭にくるんだ。矛盾している。「2ボールナッシングのカウントにするつもりはなかった」と言って、彼は変化球もしくは二流の球を投げる。僕らの時代には、2ボールナッシングから、ストレートで勝負した。今と昔では正反対だ。 

SN:さて、対談を終わらせましょう。1990年に引退してから、基本的に野球から何年も遠ざかっていました。2002年シーズンに解説者として戻ってきましたが、何か心境の変化があったのですか? 

KH:僕が野球界に戻ってきたのは、ステロイド時代の真っただ中だった。トニー・ラルーサとボビー・コックスが、リリーフピッチャーに1イニングだけ投げさせた時代だ。僕はそれが好きではなかったが、彼らが成功したことで、他のチームもマネするようになり、突然、中継ぎのリリーフ投手がダメになった。現在は、元に戻り始めてる。メッツには、3から4イニング投げられるリリーフ投手が2人いる。シーズンを通して考えたら、必要な選手だ。でも、完全試合が懐かしいよ。(1年に)300イニングを投げることは許容できないが、200から250イニングなら大丈夫だ。しかし、そんな時代は過ぎ去った。今は、全く違うスポーツとなったんだ。

原文:Keith Hernandez on his Cardinals career, the modern game and a Mets trade that never was
翻訳:Atsuko Sawada

Dave Jordan