ワールドシリーズでヒューストン・アストロズとロサンゼルス・ドジャースが対戦することになった。ベースボールファンは盛り上がることができる…… 1981年のように? いや、1962年から2012年までの全てのシーズンと同じように、だ。
ニューヨーク・ヤンキース対ドジャースのようなポストシーズンにおける歴史的なライバル関係はないものの、アストロズとドジャースは数十年に渡り同地区で、1000試合近く戦ってきた歴史がある。ノーラン・ライアン・スティーブ・ゲイビー、グレン・デイビス、ペドロ・ゲレーロといった名前がボックススコアを埋め尽くし、いくつかの歴史的一戦も生み出してきた。レギュラーシーズン、そしてポストシーズンの両方で。
いくつかを振り返ってみよう。
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163試合目でアストロズがドジャースを下しナ・リーグ西地区を制する(1980年)
アストロズとドジャースは1980年の夏、地区1位を争い戦っていた。両軍は162試合が終わったときに同率で並び、勝者がプレーオフへ行く163試合目を戦った。ジョー・ニークロが完投したアストロズが7-1で勝利し、球団史上初めてプレーオフに進出した。
プレーオフでの対決(1981年、地区シリーズ)
1981年は球界のストライキにより、MLBはその年、ナ・リーグ東地区と西地区の勝者を決めるための地区シリーズを実施した。ドジャースとアストロズは5試合のシリーズを戦い、両軍にドラマがあった。
アストロズは最初の2試合、ホームでいずれもサヨナラ勝ちを収めた。第1戦ではアラン・アシュビーが9回にデイブ・スチュワートから2ランを放った。
第2戦では、11回裏まで0-0で試合が進んだ。デニー・ウォーリングが試合を決めるシングルヒットを放ち、再びスチュワートが負け投手になった。
しかし、それがこのシリーズでアストロズが勝利を祝う最後の瞬間だった。舞台がロサンゼルスに移ると、アストロズ打線は沈黙し、ドジャースが3連勝してリーグ優勝決定シリーズに進んだ。
後編につづく
原文:World Series: May the Dodgers and Astros make us party like it's 1962-2012