元ヤンキース選手が語る、ビリー・マーチンという男(1)

Ryan Fagan

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ビリー・マーチンのストーリーは、永遠に魅力的だ。

ここ数週間、MLBネットワークを視聴した野球ファンなら、きっとオーランドで開催されたウィンターミーティングに釘付けになったことだろう。そこで、MLBネットワークの90分のドキュメンタリー番組、『ビリー』の予告を目にしたはずだ。後にも先にも、ビリー・マーチンほど、ジェットコースターのような野球人生を歩んだ者はいない。『ビリー』は12月14日(米国時間)に、俳優ジョン・タトゥーロのナレーションで放送された。

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本放送前に、私は『ビリー』を試写した。初めは10分だけ見るつもりだったが、一気に最後まで見てしまった。見るのをやめられなくなるほど、素晴らしい番組だった。今の時代では、マーチンのストーリーは信じられないだろう。驚くべきことに、彼はヤンキースの監督に5回就任し、5回解雇されているのだ。

番組を見終わったあと、マーチンのことを知るアル・ライターに電話をした。ライターは現在、MLBネットワークの解説者を務めているが、1987年9月にヤンキースでメジャーデビューを果たしている。翌年1988年、マーチンがヤンキースに5度目の監督として就任した。つまり、ライターにとってメジャーで初めて迎えたフルシーズンの監督は、野球史上最も威圧的で忘れることのできない人物だったのだ。

ライターに最初の質問をすると、彼は15分間、ビリー・マーチンの話をした。2問目の質問をするまでずっと、私たちは笑い続けていた。まずは、ライターがマーチンについて最後に語ったことから始めたい。

「僕は現役時代、様々な功績を挙げた。ワールドシリーズに出場したり、ノーヒッターを達成したりね。でも何より、ビリーと共に過ごしたシーズンは特別だった。彼が最初の監督だったことは光栄だよ」ライターは語った。

ライターは、ニューヨーク近郊のニュージャージー州育ちで、父親の影響を受け、子供の頃はニューヨーク・メッツのファンだった。高校時代はスター投手となり、1984年にはグレッグ・マダックスらと共に、オールスターに選出された。その後、1984年のドラフトで、ヤンキースに2巡目で指名された。彼はフロリダ大学に進学し野球を続けるつもりだったが、プロの道を選んだ。マイナーでは、ストライクを取ることに苦戦していたが、将来性を見込まれ、1987年シーズン終盤、セプテンバー・コールアップでメジャーに昇格した。

「1987年シーズンは、監督がルー・ピネラ、一塁手はドン・マッティングリー、二塁手はウィリー・ランドルフ、ロン・ギドリーとトミー・ジョンと僕でローテーションを守り、クローザーはデイブ・リゲッティで捕手はリック・セロンだった。すごいよね」ライターは述べた。「1人の野球ファンとして、70年代のスター選手、クリス・チャンブリス、ビリー・マーチン、ロン・ギドリー、サーマン・マンソンは偉大な存在だ。本当にすごかったよ。夢のようだった。その年のオフに、ヤンキースのオーナーはルーを解任して、再びビリー・マーチンを監督に迎えたんだ。」

「初めてのスプリング・トレーニングで、僕はヤンキースの一員になったんだと実感したよ。あの強烈なビリー・マーチンが監督だ」ライターは笑いながら語った。「友達も家族もみんなノンストップで僕に質問してきたよ『ビリーってどんな人?』ってね。『ドン・マッティングリーたちと一緒にプレーするのはどんな気分?』『ジョンとギドリーとローテーションを守ってるんだよね?』という質問よりもむしろ『ビリーってどんな人?』だったんだ。ビリーがエド・ウィットソンやレジー・ジャクソンと、バーやレストランで乱闘騒ぎを起こしていたことは知っていた。僕は若かったから、何も口を挟まず、巻き込まれないように用心したよ。」

(2)に続く)

Ryan Fagan

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Ryan Fagan, the national MLB writer for The Sporting News, has been a Baseball Hall of Fame voter since 2016. He also dabbles in college hoops and other sports. And, yeah, he has way too many junk wax baseball cards.