レッドソックスのレジェンド、ドーアが99歳で逝去

Ron Clements

レッドソックスのレジェンド、ドーアが99歳で逝去 image

オールスター選出9回で殿堂入りしたボストン・レッドソックスの元選手、ボビー・ドーアが11月13日、オレゴン州ジャンクション・シティで亡くなった。99歳だった。

チームメイトのテッド・ウィリアムズから「レッドソックスの静かなるキャプテン」と称されたドーアは、第二次世界大戦中に従軍した1945年シーズンを除き、レッドソックスで14年を過ごした。

MORE:  “今なら無料視聴可能”、MLB、NFL、V-Leagueを見るなら、……LIVE ON DAZN

レッドソックスのオーナー、ジョン・ヘンリーは声明で「ボビー・ドーアは野球全盛期の時代のひとりで、傑出した存在だった」と述べている。

「セカンドとして殿堂入りしたが、何よりも光ったのはその性格とパーソナリティーだ。さみしくなる」

アメリカン・リーグで414守備機会失策なしという記録を樹立するなど、ドーアは野球界で最もコンスタントな選手のひとりだった。

打撃では、通算平均打率.288、2042安打、381二塁打、89三塁打、223本塁打を記録。1951年シーズン後に引退したときに、二塁手としては歴代3位の本塁打数だった。1094得点、1247打点もマークしている。

1986年に野球殿堂入り。2年後に背番号1は永久欠番となった。殿堂入りした選手で99歳まで存命だった唯一の人物で、元MLBの選手で最高齢だった。4月7日で100歳になるところだった。

親友でチームメイトのウィリアムズがいたパシフィック・コースト・リーグのサンディエゴ・パドレスでプレーしていたときに、ドーアはレッドソックスからスカウトされた。レッドソックスが西までスカウトに出かけたのは有益だった。将来殿堂入りする両選手や、レッドソックスのレジェンドであるドム・ディマジオ、ジョニー・ペスキーらとも契約することになったからだ。ペスキーはドーアの親友だった。

ドーアのベストシーズンは、1944年。打率.325を記録し、15本塁打、30二塁打、10三塁打をマークして、長打率は.528とリーグ最高だった。『The Sporting News』でそのシーズンのアメリカン・リーグのMVPに選出されている。

軍隊での日々を終えて、ドーアは1946年に復帰し、レッドソックスのワールドシリーズ進出に貢献。だが、7試合の末にセントルイス・カージナルスに敗れた。

MLBにデビューしたのは19歳のときだったが、33歳で腰の問題により引退。当時最も尊敬された選手のひとりで、「敵をつくらずに引退した」と言われた。

現役引退後は1957年から66年までレッドソックスのスカウトとして働き、67年から69年までコーチを務めた。その後は牧場主にもなろうとしたが野球界に復帰し、1977年から81年でトロント・ブルージェイズの打撃コーチをこなした。

生まれも育ちもロサンゼルス地区で、ドーアは年間を通じてプレーできる南カリフォルニアの気候を生かし、裏庭で野球を始めた。1932年にアメリカ在郷軍人会のチームを州王者に導き、パシフィック・コースト・リーグのハリウッド・スターズと最初のプロ契約を結ぶ。常に謙虚で最も紳士的なひとりとみなされていたドーアは、当時の最年長で殿堂入りした。

当時、彼は「正直なところ、自分が殿堂入りのひとりだと思ったことはない」と述べている。

「連絡をもらったときは、野球における究極の興奮だったよ」。

1938年に結婚したモニカ夫人は2003年に他界。ドナルド氏というひとり息子がいた。

原文:Red Sox legend Bobby Doerr dies at 99

翻訳:Hiroaki Nakamura

Ron Clements