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遠い昔、マイケル・ジョーダンは栄光を手にした。
スポーツ専門局『ESPN』による全10話のドキュメンタリー・シリーズ『The Last Dance』(邦題『マイケル・ジョーダン: ラストダンス』、ネットフリックスでも視聴可能)に描かれているように、史上最高のバスケットボール選手と呼び声の高いジョーダンだが、実はキャリア前半の6年間以上はどちらかと言えば個人プレイが多い身勝手な選手として知られていた。いくら個人の成績を積み重ねても、所属するチームはプレイオフの最後を勝利で飾ることはないと思われていた。
野球ファンはこの話を聞いて、誰かを思い出さないだろうか?
ジョーダンは最初の7年間のレギュラーシーズンで、1試合平均32.6得点を記録し、NBAの最優秀選手賞(MVP)を2度獲得し、スポーティング・ニュースのMVPにも3回選出され、得点王は5回、新人王、オールスターゲームMVP、最優秀守備選手賞も手にした。ジョーダンはこの時すでに、まるで人間離れしたようなことを成し遂げていたのだ。
だが、ジョーダンのシーズンの最後はいつも失望で終わっていた。ジョーダンが加わってからのシカゴ・ブルズは最初の3年間はプレイオフの第1ラウンドで姿を消した。ジョーダンが4年目を迎えた年、ブルズはイースタン・カンファレンスの準決勝までは駒を進めた。そして5年目と6年目は同カンファレンスの決勝に進出した。
それでも、ブルズが優勝を飾ることはできなかった。ジョーダンがNBAきってのスーパースターであるとの評価は揺るぎなかったが、そこにはいつも「確かに、でも」という但し書きがついていた。1990-91シーズンの同カンファレンス決勝を迎えるまでは――。
「それまでは、マイケル・ジョーダンとは得点王になるだけで、チームを優勝させることのできない選手だとの汚名がつきまとっていた。だから、あの決勝シリーズこそ、私がラリー・バードやマジック・ジョンソンと同じ領域に入るチャンスだった」と、ジョーダンは4月26日(日本時間27日)に放映された『The Last Dance』の第4話で語っている。
多くの人が知るように、この年のジョーダンとブルズは、宿敵だったデトロイト・ピストンズをイースタン・カンファレンス決勝で破り、さらにNBAファイナルでもロサンゼルス・レイカーズを撃破して、ついに優勝の栄冠をつかみ取った。
これはその後のジョーダンとブルズが飾った6回の優勝の最初であり、現在から見ると、ジョーダンがチームの勝利に貢献しない選手だと考えた人がいたことさえ馬鹿馬鹿しく思えてくる。ジョーダンがバスケットボール史上最高の選手であることに疑問の余地はない。彼は、類まれな才能に恵まれ、そしてどのような障害をも乗り越える強固な精神力を兼ね備えていた。
ジョーダンは優勝する能力がなかったのではなく、ただ単にその時がまだ来ていなかっただけなのだ。その頃の気持ちをドキュメンタリーのプロデューサーらに尋ねられたとき、ジョーダンは顔をしかめ「悔しかったよ。本当に」と答えている。
ジョーダンは28歳になるまで優勝したことがなかった。だが28歳から35歳になるまでの間に6回の優勝を飾った。その間に野球をするために1年間の空白があったにもかかわらずだ。
一方、マイク・トラウトは28歳だ。そして現在最高の野球選手だ。アメリカン・リーグMVPを3回獲得しているし、同MVP投票で最も下位だった年でも4位に選ばれている。その年のトラウトは114試合しか出場していない(※MLBの年間試合数は162試合)。トラウトは最初の8年間で、まるで人間離れしたようなことを成し遂げている。
ジョーダンが28歳だったときと同じように、マイク・トラウトの伝説はまだ始まってもいないのだ。
もちろん、トラウトが所属するロサンゼルス・エンゼルスがこれからの8年間で6回ワールドシリーズ優勝を果たすと言っているわけではない。言うまでもなく、野球とバスケットボールは違う種類のスポーツだ。バスケットボールで1人の選手が果たす役割は野球のそれと比べてかなり大きい。ジョーダンはすべてのプレイでボールに触れることができたが、トラウトは9人の打者の1人でしかないからだ。
マイク・トラウトの伝説を28歳の時点で最終的に評価するのは馬鹿げている。私が言いたいことはこれに尽きる。
ジョーダンがそうであったように、トラウトにもチームメイトたちからの手助けがもっと必要だ。バスケットボールのコートにおいて、ジョーダンは自分のチームをプレイオフに導くことはできた。NBAのプレイオフはMLBより多くのチームで争われるのだが、チームメイトたちの貢献度が上がらなければ、ジョーダンの偉業が達成されることはなかった。ある時点から、トラウトは自分のチームにもっと安定した優秀な投手陣――特に故障の少ない先発投手らは最優先課題だ――を必要とするだろう。もしエンゼルスが安定してプレイオフ進出を望むなら。
確かにトラウトの最初のプレイオフはあまり良いものではなかった。エンゼルスはカンザスシティ・ロイヤルズを相手にシリーズで全敗を喫し、トラウトは12打数1安打1本塁打の成績だった。だが、そのときのトラウトはまだ23歳だったのだ。トラウトの伝説はそのときには書かれていなかったし、そして23歳の今でも未完成のままだ。
ジョーダンに尋ねてみるといい。初めて優勝したときのことを「ようやくついに、私はラリー・バードとマジック・ジョーダンの領域に足を踏み入れることができたのだ」と言っている。
トラウトは現在までは10月のプレイオフにおいてデレク・ジーター、バスター・ポージー、またはデビッド・オルティーズのような業績を挙げていないが、2049年にESPNが彼の10話ドキュメンタリーを放映するときにもそうだろうと決めつけるのは早計なのである。
(翻訳:角谷剛)