シカゴ・カブス、ライアン・オマリーの短くて風変りなMLBキャリア(前編)

Ryan Davis

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2006年、シカゴ・カブスの左腕ライアン・オマリーは、トリプルAでコツコツと練習に励んでいた。イリノイ州シカゴの南300キロに位置するスプリングフィールドで育ったオマリーは、野球少年なら誰もが夢見る野球選手になっていた。メジャーリーグではないが、幼い頃からファンだったカブス球団の一員となったのだ。

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オマリーは、豪速球でストライクを取りにいくタイプのピッチャーではなかった。彼の武器は、コーナーぎりぎりを突く球でアウトを取り、四死球が少ないことだった。2002年にドラフト外で入団したオマリーは、先発とブルペンを行ったり来たりしていた。メジャーリーグに召集される可能性は非常に低かったのだ。 

しかし2006年8月16日、オマリーはメジャーリーグのマウンドに立った。ところがその後は、不運なタイミングの故障により、彼はメジャー人生の軌道から外れてしまう。数日間しか続かなかったとしても、オマリーの短いMLBキャリアは、近年まれに見る風変りなストーリーである。ミニッツメイド・パークで行われたアストロズ戦で、彼のキャリアはクライマックスを迎えたが、今では知る人ぞ知る野球トリビアとなってしまった。

オマリーのメジャー昇格は、彼の古い友人であり、元チームメートであるリッチ・ヒルと面白い結びつきがある。2人は同じ時期にカブスの組織に入団し、非常に仲が良かったのだ。

 「ヒルと僕は、一緒にボイシ・ホークス(当時はカブス傘下)に入団したんだ」オマリーは、Sporting Newsに語った。「遠征時は同室だったし、同じホストファミリーの家で暮らしていた。すぐに仲良くなったよ。あらゆる場面で一緒だった。デイトナビーチやテネシーやアイオワでも一緒に暮らしていたんだ」。

オマリーと違って重要なプロスペクトと見なされていたヒルが、初めてメジャーに昇格したのは2005年のことだった。運命のめぐりあわせか、オマリーが最初にして最後のメジャー昇格を果たしたのには、ヒルが一役買っている。ヒルは本来、2006年8月16日にヒューストンで登板する予定だったが、その前日、15日のカブス対アストロズ戦が18回まで延長となった。カブスは、最初の8イニングで6人の投手を使ってしまっていたので、最後の2イニングをヒルが投げることになったのだ。

翌日の先発投手が不足したため、カブスはトリプルAから選手を探した。幸運にも、アイオワ・カブスはその時、ヒューストンからそう遠くないラウンドロックにいた。

「僕はトリプルAでいいシーズンを過ごしていたが、ウェイド・ミラーが戻ってきたので、僕ではなく彼が先発したんだ」オマリーは語った。「その日、登板の予定がなくなったから、僕がメジャーに呼ばれたんだよ。信じられないくらい運が良かったんだ」。 

当時26歳だったオマリーは、16日の朝、リムジンに飛び乗り、ヒューストンに向かう道すがら、後部座席で仮眠を取った。あまりに突然のことだったので、対戦相手が誰かも知らなかった。オマリーはリムジンの運転手に尋ねると、相手投手がアンディ・ペティットだと判明した。

オマリーがメジャーに召集された時、カブスの実況アナウンサーとして2年目を迎えていたレン・カスパーは、解説者ボブ・ブレンリーと共に放送席にいた。出足は遅かったものの、カスパーは確実にカブスファンに好かれていった。彼のカブスでのキャリアの序盤であったが、この日の試合は、彼とファンとを強く結びつけるものとなった。

 「正直言って、ライアンについて、ほとんど何も知らなかった」カスパーは述べた。「この日は、ボブも私も疲れ切っていたのを覚えているよ。前日、ほとんど眠れなかったからね。そのことが、この日の試合をより感動的なものにしたんだと思う。2~3時間しか寝ていない状況で実況解説すると、いつもとは違うテンションになる」。 

皆が疲れ果てている中、オマリーはその日カブスに必要だった活気をもたらしたと、カスパーは語った。マイケル・バレットが、それまで完璧な投球を見せていたペティットからソロホームランを放ち、これが決勝点となった。

この日、オマリーの投球は多少乱れていたが、十分な戦力となっていた。1度もバッテリーを組んだことのない、キャッチャーのバレットを信じて投げた。コーナーぎりぎりを突く球で、アストロズに得点を許さず、8イニングを109球でシャットアウトした。

オマリーは、2000年以降、メジャー初登板で8イニング以上を無失点に抑えた8人の投手の内の1人である。

 

後編へ続く)

Ryan Davis