イチローにとって、平常心を保つことは、剛速球を投げることと同じくらい大切なことだ(前編)

Brad Lefton

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デトロイト・タイガースの一塁手カルロス・ペーニャは、イチローに関してある推論を打ち立てた。ペーニャは、その冷静な表情から、イチローはフィールドで緊張を見せないと感じたのだ。ペーニャは何気なくイチローを観察して、この推論にたどりついた。バッティングの時、他の選手が緊張して歯を食いしばるのとは対照的に、イチローは大きく息を吐く。また、一塁に全速力で走って来る時、他の選手が大きな足音を立てるのとは対照的に、イチローは軽やかなステップを踏む。2002年シーズン、コメリカ・パークでイチローと対戦したペーニャは、自分の推論が確信に変わるのを実感した。

その試合でイチローが初めてのヒットを打ち、ペーニャにチャンスが到来した。次の投球を待つ間、一塁手がよくやるように、ペーニャはイチローに話しかけた。「僕はイチローに聞いてみたんだ。そうしたら、『まったくその通り』って答えて、離塁したんだ」ペーニャはその試合を振り返った。「次の瞬間、イチローは盗塁した。会話しながら、既に一塁と二塁の中間地点まで進んでたんだよ。盗塁を狙ってる場合、他の選手なら緊張しているから、一塁手と会話なんてしない。次のことを考えて、集中しなきゃいけないからね。イチローがあの状況で盗塁したのは信じられなかったよ。彼はすごくリラックスしてたから、成功したんだ」。

イチローのことを間近で2年間見てきたシアトル・マリナーズのルー・ピネラ前監督は、ペーニャの推論を早い段階で確信していた。「試合中、イチローは非常に真剣だが、同時にとてもリラックスしており、自信にあふれている。彼は、メンタルの部分を完全にコントロールしている」。

試合中にメンタルをコントロールできるということは、イチローに対する最高の賛辞だ。イチローは、健康な身体と同じくらい、雑念のない精神を大切だと信じている。「その日、たまたま最高のコンディションになったからといって、素晴らしいパフォーマンスを発揮できるわけではない」とイチローは述べた。「平常心でいれば、素晴らしいパフォーマンスを発揮できる可能性がある。もし、プレッシャーやいら立ち、その他の要因によって、平常心でいられなくなってしまったら、うまくいかないはずだ」。2002年シーズンは、オールスター後に打率が低迷したからといって、変えるべきだとする理論に屈することなく、イチローは自らのアプローチを変える気はない。長年のプロキャリアにおいて、作り上げてきたアプローチを信頼しているからだ。MLBの中で最も競争の激しいア・リーグ西地区で戦う上で、この信頼できるアプローチで臨むつもりだ。

シーズン終盤のプレッシャーのないデトロイト・タイガースの試合では状況が異なるが、イチローが大事な試合にどうアプローチするのかを、垣間見ることができる。

広大なコメリカ・パークの外野に立ったイチローは、顔を右に向け、ちらっと上を見た。投手が1球投げたあと、イチローは再び上を見て右を向いた。その一瞬後にも、同じ動きをした。不思議なことに、顔を向けるのは必ず右側だった。それは何かを探し求めている、という感じではなく、むしろ明確に何かを見ていた。そのシリーズでは、1イニングに10回以上、その動作を繰り返した。イチローは、右を見て上を向くことで、目の前のゲームに集中していた。風の向きをチェックしていたのか?確かにコメリカ・パークのセンターの左寄りには巨大な旗が掲げられていたが、イチローはそんなに遠くを見ていたわけではない。スコアボードでアウトカウントを確認していたのか?ボードで打者の情報を得ていたのかもしれない。

「僕はいつもそっちを見てるけど、風を読んでるわけでも、アウトカウントを確認しているわけでもない」とイチローは述べた。「全ての球場で、いくつか見るポイントを決めているんだ。それを見ることでメンタルをコントロールしている。常に精神状態を正常に保つためだ。そのポイントを見ることで、自分の精神状態が正常であることを確認するんだ。自分の潜在能力を最大限に引き出せる可能性が高いのは、平常心を維持できている時だと信じている。だから、決まったポイントを見る行為は、準備の一環だと言える。もちろん、準備にはいろいろな形がある。正しい食事、適切な睡眠時間、毎日のコンディショニングなど様々だ。試合中に決まったポイントを見ることによって、正常な精神状態を保つことは、準備の一環なんだ」。

イチローがメジャーで初めて守備で貢献したのは、「The Throw」と呼ばれるレーザービームだ。ライト前に落ちた強烈なライナーを捕球したイチローは完ぺきな送球を見せ、オークランド・アスレチックスのテレンス・ロングを三塁で刺し、優れた守備力を証明した。しかし、イチローはこの瞬間を特に重要だとは思っていない。イチローが、このプレーを誇りに思っていないわけではないが、彼にイチローを定義づけるプレーが何であるのか尋ねてみれば、このオークランドの送球よりも優れた、知られていないプレーをいくつも列挙するはずだ。そのうちの1つは、ほとんど知られていない、2002年シーズンのタイガースとの試合だ。3対0でマリナーズがリードして迎えた5回、1アウト打者一塁の状況で、イチローは壁に跳ね返ったライナーを捕球し、二塁で打者をアウトにした。それは、確かに素晴らしい守備だったが、マリナーズが8対2で勝利したことで、あまり意味をなさないプレーとなってしまった。しかし、イチローにとっては、それは彼が最も誇りに思うタイプのプレーだったのだ。「平常心でなければ、なし得ないプレーだ」と彼は述べた。イチローは全速力でボールを追った。しかし、イチローはスローダウンして、ボールの跳ね返りを長くすることで、即座に送球することができたのだ。二塁でアウトを取るためには、全速力で走りながらも、ほんの一瞬の判断力も必要とされる。イチローだけが、何をすべきか分かっていたのだ。ランナーは、ボールが捕球されるかどうか見届けるため、一塁に張り付いてなければならなかった。ボールが落ちたので、ランナーは二塁に向かわざるを得ず、イチローに刺されたのだ。

「もし、あのプレーを明確にじっくりと考えられる精神状態でなければ、成功しなかっただろう」イチローは述べた。「もし、フライで捕球しなきゃいけない、というプレッシャーに負けていたら、あのプレーはできなかった。大切なことは、常に精神状態を正常に保ち、平常心で試合に臨むことだ」。

それとは対照的に、「The Throw」は輝きを放っていたが、精神的な試練はなかった。イチローのメジャーデビューからわずか8試合目だったので、ランナーはまだイチローの肩を配慮する理由がなかったのだ。イチローがなすべきことは、目の前を全力で走るランナーを見て、本能的なプレーをすることだった。結果として生まれた完ぺきな送球は、イチローが身体的にそのプレーが可能であることを証明した。運動能力はそこまで必要ではなかったが、デトロイトでのプレーは、イチローが常に達成しようと努力している、雑念のない集中した精神力がなし得たものだ。

ーー後編に続くーー

翻訳:Atsuko Sawada

 

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