ただいま、タンパ! ただいま、母さん! 地元球団に移籍した、とある選手の物語【中編】

Gary Phillips

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※トップ画像は、タンパ地区で野球を始めたばかりの頃のディナード少年

ディナードと兄のレイの生活は決して順風満帆とはいかなかった。幼い頃に両親は離婚し、1998年に母親は再婚したが、それまでは母親が女手一つで育てた。彼女は保険査定員の仕事の傍ら、子どもたちの送り迎え、宿題の手伝い、洗濯や料理など全てを一人でこなした。

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「息子たちはアメリカンフットボール、ベースボールとバスケットボールをやっていたから、私一人で世話をするのは本当に大変だったわ」とワンダは笑いながら話した。「タンパには親戚がいなかったので、私の仕事が17時半まで終わらないと、例えば息子たちの試合が18時からあったり、練習が16時から始まったりするときにすごく困ったの」。

どんなに疲れ果てていても、彼女は決して文句を言わなかった。それをスパンは分かっていた。

「母は僕にとって大きな存在だ。今の僕があるのは彼女のおかげだ」とスパンは語る。「毎朝、出勤する姿をみてきた。どんな状況でも、常に前を向いていた。僕の性格は全て母の影響を受けている」。

「年を重ねるにつれて、シングルマザーとしての生活がいかに大変だったかが理解できるようになった」

ただ感謝をしているだけではない。スパンはワンダから影響を受けて、人のために何かをするようになった。

スパンは2014年、タンパを本拠地に、「ひとり親家庭に社会的な力をつける」ことを目的とした「ディナード・スパン基金」を設立した。息子に着想のきっかけを与えたワンダは、自身が立ち上げたデイケアセンターの運営に加えて、基金の専務取締役も務めている。彼女は請求書や書類の処理、イベントの運営などに積極的に関わっている。

「私にとって基金は大事な仕事です」ワンダは、スパンの功績を称える祝賀会を思い出しながらこう語った。「息子は壇上で、“みんなは称賛する相手を間違えています。僕ではなく母を称賛して欲しい。母がいなければ僕も基金もありません”って言ったの」

タンパに戻ったおかげで、スパンはこの仕事に時間を割くことができ、基金に多くの注目を集めさせることができるようになった。長年他の都市でプレーしていたことから、彼の地元での認知度はあまり高くないのだ。

「若い世代は、ケビン・キアマイアー、エバン・ロンゴリアやクリス・アーチャーくらいしか知らない。皆地元の選手だからね」とスパンは言う。

後編へ続く)

Gary Phillips