アントニオ猪木さんの訃報に米格闘技界も衝撃:モハメド・アリ戦は史上初のMMA戦としてマクレガーもリスペクト

Daniel Yanofsky

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日本のプロレス界の巨星、アントニオ猪木さんの訃報は、米格闘技界にも衝撃と悲しみを与えた。猪木さんがかつて実現したボクシング界のスーパースターだったモハメド・アリとの異種格闘技戦は、現在のMMAの始祖といわれている。

猪木さんの生涯と、その「世紀の一戦」を振り返るとともに、米格闘技界の反応をダン・ヤノフスキー(Dan Yanofsky)記者が紹介する。

2022年10月1日、巨星墜つ

プロレス界の英雄であり、総合格闘技(ミックスドマーシャルアーツ、以下MMA)の先駆者として知られるアントニオ猪木さんが死去した。2022年10月1日、享年79歳だった。日本のメディア各社の報道によると、猪木さんは、難病指定の全身性トランスサイレチン型アミロイドーシス(複数の臓器に異常タンパク質が沈着し、機能障害を起こす症状)など、いくつかの病気を抱え、長い闘病の末に亡くなったとのことである。(以下、敬称略)

猪木は日米におけるプロレス界において世界王座をいくつも獲得したというだけではなく、まさに伝説的な存在だった。現在の格闘技界は猪木なしには語れない。ショー要素の強いプロレスのリングに真剣勝負のスタイルを持ち込み、さらには様々な種類の格闘技選手と戦った。それらは常に時代の先を行くものだった。

アントニオ猪木の生涯

猪木は幼少の頃に空手を学び、ブラジル遠征中だった力道山にスカウトされ、17歳でプロレスラーを志した。日本のプロレス界に大きな影響を与えたことで有名なカール・ゴッチに師事していたこともある。

1972年に猪木は新日本プロレスを旗揚げし、IWGPの初代ヘビー級チャンピオンになった。その後、UWA世界ヘビー級王座、NWA統一王座、そしてNWFヘビー級王座など多くのタイトルを獲得した。1979年にはボブ・バックランドに勝利して、WWFヘビー級王座を獲得した。ただし、この戴冠をWWEは現在に至るまで公式には認めていない。

また、国際的な活躍が認められ、ジョージ・トラゴス&ルー・テーズ記念館や『Pro Wrestling Illustrated』、『Wrestling Observer』などの専門メディア、そしてWWE、WCWといった多くの団体から殿堂入りの栄誉を得ている。

1960年代から1970年代にかけて、猪木は台本と現実を隔てていた境界線を破壊した。キャッチ・レスリングとシューティングのスタイルを自身のプロレスでの戦いに持ち込んだのだ。プロモーターとしてはありとあらゆる種類の格闘技から選手を招聘し、異種格闘技戦を行なった。のちに設立したイノキ・ゲノム・フェデレーション(IGF)はプロレスとMMAの両方の試合をプロモートした。IGFにはブロック・レスナーやミルコ・クロコップも所属していた。

猪木は指導者としても、藤波辰爾、タイガー・マスク、グレート・ムタ(武藤敬司)、中邑真輔、ブライアン・アダムス、ロッキー・ロメロなど、数多くのプロレスラーを育て上げた。そのうちのひとりでもある髙田延彦はMMAプロモーション組織であるPRIDEの創立に関わった。

猪木は日本の政界にも進出し、1989年と2013年には参議院議員に当選した。

アントニオ猪木対モハメド・アリ戦

猪木は異種格闘技戦ブームの先駆けとなった。ボクサー、柔道家、空手家、そしてプロレスラーたちを同じ舞台に結びつけた。なかでも最も有名な対戦は1976年に伝説のボクサー、モハメド・アリと戦った一戦である。「世紀の一戦」と呼ばれたこの試合は日本武道館において1万4000人を超える観客の前で行われた。

猪木は一連の異種格闘技戦を通して、プロレスこそは最強のスポーツであることを証明しようとした。そのため、アリが要求した特別ルールにすべて合意した。この試合で猪木はアリの両足に107回の(のちに「アリキック」と呼ばれた)蹴りを浴びせた。アリが猪木に当てたパンチは数発でしかなかった。試合は15ラウンドの末にドローとなった。この攻防は、現代MMAの先駆的な試合だと考えられている。

2017年にフロイド・メイウェザーとMMAスターのコナー・マクレガーがボクシングのルールで対戦したときは、猪木対アリの再現だと評された。マクレガー自身は猪木vsアリ戦こそが格闘技の世界を現在の形に変えたものだと高く評価していた。

「アリは猪木にパンチを当てようとして、屈みこむような姿勢になった、そこを猪木はスイープを決め、アリの上になった。しかし、両者はすぐにレフェリーに分けられてしまった。もしあと5秒か10秒でもグラウンドでの攻防が許されていたら、猪木はアリの首か腕を極めてしまっていただろう。そうなれば、あの時点で格闘技の様相は大きく変わっていたはずだ」と、マクレガーは米格闘技Webメディア『MMA Junkie』上で語った。

メイウェザーはマクレガーを10ラウンド目にTKOでくだした。通称「マネー」はこの試合を最後に、50勝0敗の完全戦績を残して引退した。この異種間バトル以降、現在のボクシング界ではYouTuberなども交えて、ボクサーとMMAファイターの戦いは珍しいものではなくなっている。9月25日の『超RIZIN』ではメイウェザーと日本のMMAファイター・朝倉未来とのエキシビションマッチが行われたばかりだ。

格闘技界著名人たちが語るアントニオ猪木

猪木は今日の我々が見るプロレスとMMAを変えた。スタイルは進化し、そして何より猪木のスタイルが浸透しているのだ。

プロレスとMMAの世界で様々な伝説を残した著名人たちが猪木の死去を悼むメッセージを配信している。

リック・フレアー氏のツイート:アントニオ猪木さん、安らかにお眠りください。友よ、素晴らしい試合と思い出をありがとう。(フレアー氏は北朝鮮での特別興行で猪木と対戦した)

新日本プロレス・グローバル公式ツイート(英語):新日本プロレスは私たちの創始者であるアントニオ猪木氏の逝去に接し、深い悲しみに包まれています。プロレス界と世界のコミュニティにおける猪木氏の業績はほかに並ぶものがありません。私たちはけっしてそれを忘れることはないでしょう。猪木氏のご遺族、ご友人、そしてファンの皆様に、心からお悔やみを申し上げます。

RIZINのCEO榊原信行氏のインスタグラム投稿。

Bellator MMA代表スコット・コーカー氏のツイート:アントニオ猪木さん、安らかにお眠りください。あなたは格闘技業界における真の伝説です。

総合格闘家兼俳優ポール・レーゼンビー氏のツイート:最初にアリ、続いて(猪木vsアリ戦のレフェリーを務めた)イバン・ジン・ラベール、そしてアントニオ猪木。MMA史上最も有名な戦いに関わった3人のレジェンドが全員亡くなってしまった。日本プロレス界の英雄よ、安らかに眠れ。(レーゼンビー氏はパンクラスに出場したほか同団体の道場に留学経験がある)

『MMA History Today』ツイート:アントニオ猪木は日本の英雄だった。人々は猪木氏のビンタを受けるために列を作っている。それが祝福だと考えられていたからだ。格闘技史上最も重要な人物のひとりだ。ご冥福をお祈りする。

スティングのツイート:アントニオ猪木さんとリングで戦えたことは私の名誉と誇りです。私たちは真の英雄を失ってしまいました。

ハルク・ホーガンのFacebook:私のプロレス人生の半分は新日本プロレスと共にあった気がする。私は日本で広く受け入れられ、バスで遠征もしたし、トレーニングも生活も皆と一緒だった。アメリカ人を相手に戦ったことさえある。猪木は本当のイチバンだった。安らかに眠ってくれ。兄弟のアックス・ボンバーより

WWE公式ツイート:WWEはアントニオ猪木さん(1943-2022)を忘れません。

ウィリアム・リーガル氏のツイート:アントニオ猪木さんがご逝去されたとの報に接し、深い悲しみに包まれています。猪木さんは日本プロレス界の英雄でした。1994年には私を対戦相手に選んでくれました。それからは友人同士として連絡を取り合っていました。いつもとても親切な人でした。ご遺族とファンの皆さんに、心からお悔やみを申し上げます。

WWE副社長でタレント部門責任者トリプルH氏のツイート:我々格闘技界の歴史において最も重要な人物のひとりだった。「闘魂」という言葉を体現した人物でもある。WWE殿堂入りを果たしたアントニオ猪木氏の伝説はこれからも永遠に生き続ける。

原文: Combat sports world reflects on the life of Antonio Inoki, an MMA pioneer famous for first-of-its kind fight vs. Muhammad Ali
翻訳:角谷剛
編集:スポーティングニュース日本版編集部

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Daniel Yanofsky