現地時間10月18日、米国の老舗ボクシング中継番組『Showtime Boxing』(ショータイム・ボクシング)が年内終了という一報が報じられ、メディア関係者だけでなく、ファンの間でも衝撃が走った。
マイク・タイソン、イベンダー・ホリフィールド、フロイド・メイウェザーら名だたる拳聖たちが彩った37年の歴史を持つ『ショータイム・ボクシング』の名勝負トップ5を、名門『The Ring』誌(リングマガジン)元編集人で本誌格闘技部門副編集長のトム・グレイがピックアップした。
80年代から米国ボクシング界を支えた老舗番組が2023年で終焉
米メディア大手パラマウント・グローバル社が今年いっぱいで『Showtime Sports』(ショータイム・スポーツ)を打ち切ることが公式に報じられ、ボクシング界に衝撃を与えた。
パラマウント傘下の有料放送局である『Showtime』の『ショータイム・スポーツ』枠は、ボクシングやBellatorなど総合格闘技の中継のほか、NFL、NBA選手のドキュメンタリー映像などを扱ってきたが、近年は「Premier Boxing Champions」(プレミア・ボクシング・チャンピオンズ)との契約もあり、やはりボクシング番組シリーズ『Showtime Boxing』(ショータイム・ボクシング)として認知されてきたのも事実だ。
そのショータイムがボクシングから撤退するという噂(それに絡んだBellator売却の噂)は数週間前から囁かれていたが、その正式決定は業界全体にとって大きな打撃となる。
『ショータイム・ボクシング』は1986年に始まり、何人もの偉大なボクサーたちの試合を開催・中継してきた。マービン・ハグラー、トーマス・ハーンズ、ロベルト・デュラン、シュガー・レイ・レナード、マイク・タイソン、イベンダー・ホリフィールド、フロイド・メイウェザーといった名前がその歴史を彩る。
リングサイドでは、ティム・ライアン、ギル・クランシー、アル・バーンスタイン、スティーブ・ファーフッド、バリー・トンプキンス、ジム・グレイ、マウロ・ラナロといったプロ集団が深い知識と声でこの番組を支えてきた。シリーズ打ち切りは残念でならない。
ショータイム・スポーツ社取締役のスティーブン・エスピノーザ氏は、社員に向けて、以下の声明を発表した。
「会社が下したこの決断は、最近の業績や長く誇るべき歴史を反映したものではありません。メディア市場が急速に変貌を遂げているなか、人的資産を割り振り、優先順位を組み直し、そして提供するコンテンツの価値を再構築するために、会社は困難な決断を迫られることになりました。このニュースは非常に厳しく、そして残念ですが、私たちにはほかに方法がないのです」
エスピノーザ氏が述べたように、ショータイム・ボクシングの「長く誇るべき歴史」はけっして忘れてはならない。ファンはボクシング史上に燦然と輝く瞬間にいくつも出会えたのだから。
2018年にHBOがボクシング界から撤退したときと同様に、ショータイム・ボクシングに関わったすべてのファイターと関係者は祝福されるべきである。
スポーティングニュースは、ショータイム・ボクシングが刻んだ37年の歴史から最も偉大な試合を5つ選んだ。
マービン・ハグラー vs. ジョン・ムガビ
- 試合日:1986年3月10日
- 会場:シーザーパレス(ラスベガス)
- 世界タイトル:WBA・WBC・IBF世界ミドル級王座統一戦
まずはこの一戦である。ハグラー vs. ムガビはショータイム・ボクシングが放映した最初の試合であり、それと同時に近代ボクシングにおける最も偉大なミドル級タイトルマッチのひとつでもある。
ハグラーは1985年4月にトーマス・ハーンズから劇的な3回KO勝ちを収めた。当時の世界最高ボクサーであり、スーパースターでもあった。11か月というキャリア最長の空白期間を経て、『マーベラス』の字名で知られた3団体統一王者はリングに戻ってきた。
ジョン・ムガビは『The Beast』(野獣)の異名を持っていた。このウガンダ生まれのハードパンチャーは、当時26戦26勝26 KOという完璧な戦績を誇っていた。そのうちの10試合は1回KO勝利である。スーパーウェルター級からミドル級へ階級を上げてもなお最強の挑戦者だと目されていた。
試合はムガビ優勢で始まった。序盤のラウンドから強烈なパンチがハグラーを襲った。しかし、経験に優るハグラーが徐々に流れを引き寄せ、6ラウンド目からは重いパンチをムガビに浴びせ始めた。ムガビは必死に抵抗したが、11ラウンド目に王者ハグラーが試合を終わらせた。
結果:ハグラーの11回KO勝利
ロベルト・デュラン vs. アイラン・バークレー
- 試合日:1989年2月24日
- 会場:コンベンション・ホール(ニュージャージー州アトランティックシティ)
- 世界タイトル:WBC世界ミドル級王座戦
この試合は、時代を象徴する王者が入れ替わった瞬間として記憶されるはずだった。
デュランは37歳だった。1983年6月にデビー・ムーアを8回TKOで破り、WBA世界スーパーウェルター級タイトルを獲得してからは、さほど目立った勝利を挙げていなかった。その後の5年半でデュランは7勝3敗という戦績であったし、直前の試合も無名のジェフ・ラナスから挙げた2-1判定勝利というパッとしないものだった。
その一方で、28歳だったバークレーは、そのときすでに四天王のひとりを破っていた。トーマス・ハーンズから3回KOでWBC世界ミドル級タイトルを奪った試合である。
バークレーのその勝利は、デュランのファンにとっては不吉な予感を抱かせる結果だった。デュランは1984年にハーンズから2回TKOの手痛い敗北を喫していたからだ。若き王者バークレーの身長は185cmで、ミドル級に相応しい体格である一方、身長170cmのデュランは圧倒的に不利に見えた。
しかし、デュランは偉大なボクサーだった。ヒスパニック系としては史上初の世界4階級制覇という目標を掲げ、素晴らしいコンディションを作り上げてリングに上がった。
元王者は最初のラウンドで早くもバークレーに右パンチをヒットさせ、その後は王者のパンチに耐え続けた。そして11ラウンド目には鮮やかなコンビネーションでダウンを奪った。判定は僅差であったが、デュランに軍配が上がり、王座獲得に成功した。
結果:デュランの2-1判定勝利
マイク・タイソン vs. イベンダー・ホリフィールド 第1戦
- 試合日:1996年11月9日
- 会場:MGM グランド(ラスベガス)
- 世界タイトル:WBA世界ヘビー級王座戦
1990年代が始まった頃、ショータイムと大型契約を結んだタイソンとホリフィールドの対決は、20年ほど前のモハメド(モハメッド)・アリ vs. ジョー・フレイジャー以来のヘビー級最大の戦いとなると考えられていた。しかし、1992年にタイソンがレイプ罪で収監されたことで、ヘビー級戦線はタイソン抜きで動くことを余儀なくされた。
タイソンが檻のなかにいた間、ホリフィールドのキャリアは激しく浮き沈みした。リディック・ボウに敗れて王座を失った試合はヘビー級タイトルマッチの歴史でも屈指の名勝負だと言われている。ボウとの再戦では勝利し、王座を奪還したが、その後はマイケル・モーラーに敗れ、さらにボウにも2敗目を喫した。ボビー・チェズ戦での冴えない勝利は、さしもの『The Real Deal』(本物)も終わったかと思われた。
タイソンは1995年3月に釈放されると、すぐにリングへの復帰をはたし、再び猛威を振るい始めた。復帰後わずか7か月でフランク・ブルーノを3回KOで下してWBCタイトルを奪還し、続いてブルース・セルドン を1回TKOで葬り、WBAタイトルも獲得した。
名実ともに『The Baddest Man on the Planet』(地上で最も恐ろしい男)がリングに帰ってきた。誰もがタイソンを恐れた。ただひとりの男を除いては。
1996年11月9日、その日のホリフィールドは、それまでタイソンと対峙した大勢のボクサーとは似ていなかった。微笑みさえ浮かべてリングに上がったのだ。この挑戦者はタイソンを恐れず、それどころかキャリア最高のパフォーマンスを発揮した。
ホリフィールドは終始タイソンを圧倒し、6ラウンド目にはダウンを奪った。歴史的な勝利のフィニッシュは11ラウンド目に訪れた。
結果:ホリフィールドの11回TKO勝利
関連記事:キャリア最高の勝利:イベンダー・ホリフィールドがマイク・タイソンを破った試合の舞台裏を明かす
ディエゴ・コラレス vs. ホセ・ルイス・カスティージョ 第1戦
- 試合日:2005年5月7日
- 会場:マンダレイ・ベイ(ラスベガス)
- 世界タイトル:WBC・WBO・The Ring誌認定世界ライト級王座戦
2001年、フロイド・メイウェザー・ジュニアに一方的に敗れたあと、コラレスは再び自らのイメージを回復させた。ホエール・カサマヨールには惜しくも敗れたものの、再戦では雪辱をはたし、WBO世界スーパーフェザー級王座を獲得した。ライト級に階級を上げると、WBO同級王者のアセリノ・フレイタスに挑戦し、見事な逆転勝利を挙げた。
カスティージョもメイウェザーと対戦し、敗れた経緯がある。2002年4月の対戦ではこのメキシコ人スターが判定勝利していたとする見方が多かった。しかし、再戦でもメイウェザーが判定勝利を収めた。カスティージョもコラレスと同じように、敗戦後の再出発を余儀なくされた。フアン・ラスカノ、カサマヨール、フリオ・ディアスに次々と勝利し、ラスカノ戦での勝利はカスティージョに空位だったWBCタイトルをもたらした。
コラレス vs. カスティージョはボクシング史上屈指の名勝負となった。身長とリーチで優るコラレスだったが、あえてカスティージョとの距離を詰め、接近戦で激しい打ち合いを展開したのだ。
10ラウンド目にはカスティージョが左フックで2度のダウンを奪った。「Chico」(チコ)ことコラレスは2度ともマウスピースを故意に吐き出したことで減点もされた。
コラレスの左目はほぼ塞がっていたが、その後に奇跡を起こした。
試合が再開すると、コラレスは右、左と強いパンチを叩き込み、カスティージョをグロッキーにさせたのだ。レフェリーはそこで試合を止め、このほかに類を見ない試合は終わった。
その逆転勝利は物議を醸したが、第2戦はカスティージョが体重超過でノンタイトル戦に。1勝1敗となったライバル対決は、決着戦でもカスティージョが体重を作れず中止となり、ついには実現しなかった。
結果: コラレスの10回TKO勝利
イスラエル・バスケス vs. ラファエル・マルケス 第3戦
- 試合日:2008年3月1日
- 会場:ホーム・デポ・センター(カリフォルニア州カーソン)
- 世界タイトル:WBC・The Ring誌認定世界スーパーバンタム級王座戦
イスラエル・バスケスとラファエル・マルケスというメキシコ人同士のライバル関係は、近代ボクシング史上もっともエキサイティングなトリロジー(3連戦)を生み出した。実際には第4戦も行われ、マルケスが勝利したのだが、ファンの記憶に残るのは最初の3試合であろう。
モハメド・アリ vs. ジョー・フレイジャー第2戦、アルツロ・ガッティ vs. ミッキー・ワード第2戦、そしてマリオ・アントニオ・バレラ vs. エリック・モラレス第2戦はいずれも第1戦と第3戦のインパクトに及ばなかったが、バスケスとマルケスの3連戦はどれをとっても壮絶な試合だった。
第1戦ではマルケスが勝利し、第2戦ではバスケスが勝利した。この2試合は同年に行われたため、2007年のThe Ring誌(リングマガジン)最高試合賞は後者のものになった。第3戦はそれ以上の激闘となり、2008年の最高試合賞に選ばれた。
またしても壮絶な試合となり、両者共にコンビネーションを駆使した激闘となった。4ラウンド目にはバスケスがダウンを喫した。
スピードとタイミングで優るマルケスがやや有利に試合を進めたが、バスケスが徐々に勢いを盛り返していった。10ラウンド目にマルケスがローブロー反則で減点されたことにも助けられた。
最終12ラウンド目に入ると試合は最高潮に達した。ダウンを奪ったバスケスは最後まで攻撃の手を休めず、マルケスはロープに詰まってしまった。
ジャッジは2-1でバスケスを支持し、王座防衛に成功した。これ以上の試合は絶えてないと言っても過言ではない。
結果: バスケスの2-1判定勝利
原文:Showtime Boxing to take final 10-count: Top 5 greatest fights revisited
翻訳:角谷剛
編集:スポーティングニュース日本語版編集部 神宮泰暁
※本サイトはアフィリエイトプログラムを利用しています。