タイソン・フューリーはいかにしてメンタルヘルス、薬物、黒い関係や舌禍などの問題を克服し、英国の英雄となったのか

Dom Farrell

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WBC世界ヘビー級正規王者のタイソン・フューリー(英国)は、指名挑戦者で同級暫定王者のディリアン・ホワイト(ジャマイカ/英国)との決戦を前に公式計量に臨んだ。フューリーが約5キロ半近く重い体重差が発表された後(フューリー:121.1キロ、ホワイト:114.8キロ)、2人のボクサーはダンスを踊ってご機嫌な表情を見せた(編注:ヘビー級は200ポンド=90.719キロ以上であれば上限はない)。この1戦を最後に引退を発表しているフューリーは、試合前にいくつかの記者会見に応じた。

フューリーはこれまでの14年間のプロボクサー生活を通して、ときには陽気であり、ときには病的であり、またときには異常なほど饒舌であったり、様々な異なった印象を人々に与えてきた。英国のスポーツ専門有料テレビ局『BT Sport』とのインタビューでは、キャリア33戦目で最後になるとされる1戦を前にして「安寧な」心境であるかどうかを問われ、以下のように答えた。

「もちろん。キャンプ中にも言いましたが、私はこのキャンプを最高のものにしたかった。すべての時間を楽しむことができたし、最後の試合に向けて万全の準備ができた。それを見せるのにウェンブリー・スタジアム以上の場所は考えられないでしょう。それもかつてのトレーニング仲間であるディリアン・ホワイトと戦えるんだからね」

米国進出で大成功を収めた3年間のあと、もしこれがフューリーの最後の試合になるとすれば、この祝福モードはそれに相応しいものである。大西洋を渡った英国人ボクサーのなかでも、フューリーは最も多くのビッグマッチを経て、それでもまだ無敗を保ち、名声を不動のものとした。

しかしながら、リング上での輝かしい実績にかかわらず、様々な理由からフューリーが母国の英雄として受け入れられることはないと多くの人に思われていた。

初めてのヘビー級タイトル戦からこの1戦に到るまで、自らを”ジプシーキング”と呼んだフューリーの破天荒なキャリアはどのプロスポーツにおいても、ほかに類を見ない。このスポーツでの類まれな才能と強靭な意志と引き換えに、フューリーは常に深刻なメンタルヘルスの問題と戦ってきた。それは誰もが真似をすることができないほど、怒りと痛みと論争に満ちた物語である。

タイソン・フューリーのメンタルヘルスに問題が生じ始めたのはいつか

フューリーの威勢のいい自己宣伝は生来のものだ。しかし、そのキャリア初期においては、未熟なあまり、誇大宣伝になってしまうことがしばしばあった。

パフォーマンスや体重管理も不安定であり、自分よりずっと小さい相手を相手にダウンを喫することもあった。2009年にリー・スワビー(英国)と戦ったときは、自分のパンチを自身の顔に自爆してしまったことさえある。しかし、その後は着実に実力をつけ、英国からヨーロッパ、そして世界レベルへとランキングをあげていった。

その頃、2011年の英紙『The Guardian』とのインタビューで、フューリーはこんなコメントを残している。

「何と呼べばいいのか分からないけれど、私は意味もなく感情が揺れ動いてしまう。1分前には幸せだったとのに、急に哀しくなり、自殺まで考えてしまうことがある。何も起きていないにもかかわらずです。幸せの絶頂にあると思っていた1分後には、時速160キロで車を壁に激突させたくなる。私には何が起きているのか分からない。とても混乱しています」

叔父であり、トレーナーでもあったピーター・フューリーの助言を受けて、フューリーは立ち直った。2014年11月のヨーロッパ及び英国ヘビー級タイトル戦では、2回目の対戦となったデレック・チゾラ(ジンバブエ/英国)を巧みなボクシングで圧倒してみせた。

その1年後、フューリーはそれまで世界ヘビー級統一王者に長い間君臨していたウラジミール・クリチコ(ウクライナ)に挑戦するチャンスを手に入れた。試合前の記者会見ではバットマンの衣装で登場し、世界の征服者を倒す男を演じてみせた。

ドイツのデュッセルドルフで行われた試合では、威勢のいい道化役(負け役)とみられていたフューリーはその舞台の主役となった。見事なアウトボクシングでクリチコを翻弄し、3-0の判定勝ちを収め、WBA、WBO、そしてIBFのベルトを獲得したのだ。しかし、栄光を手にしたはずのフューリーはその後の2年半もの間リングに上がることはなかった。

「私はもう何か月もジムに行っていません。トレーニングをしていないんだ。ずっと鬱状態です。もう生きていたくないとさえ思う。理解してもらえるか分からないのですが」と、フューリーは2016年10月に米紙『Rolling Stone』に語っている。そのインタビューの残りは読むに耐えないほど苦痛に満ちたものだ。

「もうたくさんだ。ボクシング関係者やメディアは私をギリギリまで追い詰めた。コカインのことなど、もうどうでもいいでしょう。私はただこれ以上生きていたくないのです。それに比べたら、コカインなんて、何でもないことです」

タイソン・フューリーのコカインだけではない禁止薬物使用疑惑

Rolling Stone誌のインタビューは予定されていたクリチコとの再戦が中止になった1か月後に行われたものだ。公式声明ではフューリーが試合を行なうには「医学的に不適当」であるとし、ボクシング及び総合格闘技アンチ・ドーピング機構(VADA)の検査でコカイン陽性であったことが明らかにされた。

「それがどうしたって言うんだ。コカインは(アナボリックステロイドのような)パフォーマンス増強薬物ではない」といったフューリーの開き直りともとれる発言が問題視され、WBAとWBOのタイトルが剥奪されることになった。そのどちらもアンソニー・ジョシュア(英国)の手に渡った。無名の指名挑戦者ビャチェスラフ・グラスコフ(ウクライナ)との対戦を拒否し、クリチコとの再戦に合意したことで、IBFのタイトルも剥奪された。

しかし、フューリーの精神状態がさらに悪化したのは、フューリーと従兄弟でトレーニング仲間でもあるヒューイ・フューリーから、2015年2月の検査において、禁止薬物のナンドロロン(筋肉増強剤)の陽性反応が検出されていたと、2016年9月に公に報道されたことがキッカケであった。

フューリーたちはパフォーマンス増強薬物の摂取を頑強に否定し、陽性反応は去勢されていないイノシシを食べたせいだと主張していた。

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2017年12月、英国アンチ・ドーピング機関(UKAD)はフューリー陣営の2年間資格停止期間が適用から遡って終了したことを発表した(編注:試合復帰を目指すフューリー陣営がUKADの処分を受け入れた)。

この問題は2020年に再浮上した。フューリーがリングに復帰し、WBC世界ヘビー級王者に返り咲いていたときの話である。農業経営者のマーティン・ケアフット氏がフューリー陣営から2015年の禁止薬物検査の際のアリバイを提供する見返りに2万5000ポンド(約330万円)の賄賂を持ちかけられたと英紙『Daily Mail』上で発言したのだ。ケアフット氏は去勢されていないイノシシの肉を提供したという過去の発言は事実ではないと述べた。

フューリーのプロモーターであるフランク・ウォーレン氏はこの話を馬鹿げたでっちあげと強く否定し、WBCのマウリシオ・スライマン会長は「個人的には、経済的恩恵のために公的文書で嘘をついたことがあると認めた人物より、タイソン・フューリーを信じたい」と擁護した。

当時UKADは「我々はアンチ・ドーピングへの妨害に関与する、すべての可能性についても確認し、必要と認められたときには調査を実行します。いかなる形でも我々にとって有用な情報を持っている人は、我々に連絡してください」という声明を出した。

結局、フューリーはケアフット氏の主張に関して調査されることはなく、疑惑は残される形になった。

タイソン・フューリーの反社会的人物とのつながりや性差別舌禍

2016年に端を発したこうした一連のゴタゴタで、フューリーは各ボクシング連盟からまったく見放されていたと感じていたが、フューリー自身やその周辺から新たな問題が発生する。

Rolling Stone誌とのインタビューで、ダニエル・キナハン氏との関連について取り沙汰されていることについて、フューリーは「魔女狩り」の対象になっていると言った。キナハン氏はドラッグ・カルテルとして活動するアイルランド系ギャングのリーダーと見なされている人物で、最近でも米国財務省から制裁処分が下されたばかりだ。それを受け、キナハン氏の活動拠点とされるアラブ首長国連邦は同氏の資産を凍結することを4月20日に発表している。

キナハン氏はここ数年間フューリーを含む、何人かのボクサーのアドバイザーとなるなど、いわゆる”フィクサー”としてボクシング界に大きく関わってきた。フューリーは2020年にキナハン氏がアンソニー・ジョシュアとの2試合契約をまとめてくれたことに感謝するとソーシャルメディアの動画で発言したこともある。

米国政府が、逮捕につながる情報へ500万ドル(約6億円)の懸賞金をかける、このいわく付きの人物との黒い関係についてメディアから質問されるたび、フューリーは不快感を露わにしてきた。

しかし、フューリーのスポーツ界における立場からすれば、キナハン氏のような反社会的な人物との関係について質問されることは当然であり、はっきりしない応答に終始しているフューリーが批判されることもまた当然である。

Tyson Fury
Getty Images

また、フューリーはかつて同性愛嫌悪や女性蔑視の発言を行っており、そのことに対して正式に謝罪をしていない。このことからも、スポーツ界のヒーローに相応しい価値観の持ち主と呼ぶことはできなかった。

「悪魔が地上に現れる前の条件は3つしかない。ひとつは同性愛が各国で合法化されること、ひとつは中絶、そしてもうひとつは小児性愛だ」とフューリーはクリチコ戦を前にDaily Mail紙とのインタビューでこう発言したのだ。

ボクサーとしての成功に伴い、こうしたフューリーの発言に対しての批判も高まっていった。「女性にとって最高の居場所とは台所、そして横になるところだと思うよ。それが私の個人的な信条だ」とボクシングWebメディア『iFL TV』で言い放ったこともある。

Rolling Stone誌のインタビューで、フューリーは自身が放浪者であり社会から差別を受けていて、それらは人間が耐えられるものではないと言った。同じ文脈で、同性愛嫌悪や虐待の犠牲者でいることは、33歳でロールモデルとされる困難と同等であるかもしれないと言った。

「もし私の過去の発言が誰かを傷つけたとしたら、謝罪します」とフューリーは2015年BBC年間スポーツマン賞の授賞式で述べたが、それが具体的にどの発言を指すかは明確ではなかった。こうした問題が浮上したとき、特に今週話題になったキナハン氏との関係についても、フューリーの対応は常に不明瞭である。

タイソン・フューリーはデオンテイ・ワイルダーとの戦いで母国の英雄に

ただ、フューリーが自身の精神的な混沌から抜け出したことで、多くの人を勇気づけたことは確かだろう。英国では35歳未満男性で最も多い死因は自殺である。そうしたなか、最も大きくて最も腕っぷしの強い男が、驚くべき率直さで悩みを持つ多くの人々に繰り返し語りかけてきたからだ。

そして最も驚くべきスポーツ界の復活劇は言葉以上の説得力を持つ。一時は体重が180キロ以上になるほど太ってしまったフューリーは、トレーニングを積み、かつての体型を取り戻し、2018年に2つの前哨戦を経て、同年12月1日、ロサンゼルスでWBCチャンピオンのデオンテイ・ワイルダー(米国)との対戦にこぎつけた。

クリチコ戦のときと同じように、フューリーの勝利を予想するものは非常に少なかった。ワイルダーはその頃、ヘビー級の歴史でも最強のパンチの持ち主と考えられていたのだ。

フューリーは最高の自分を取り戻し、ワイルダーを空回りさせた。9回と12回にはダウンを喫し、特に12回のそれは強烈であったが、最後まで戦い抜いた。試合はドロー判定となり、フューリーには再戦のチャンスは少ないと思われた。

フューリーはトム・シュワルツ(ドイツ)とオットー・ワーリン(スウェーデン)に勝利したあと、トレーナーのベン・デービソンと決別し、名門のクロンク・ジムに移籍。シュガーヒル・スチュワードの指導を仰ぐと発表し、再び大きな話題をさらった。30代に入ってからのフューリーは、カウンターパンチャーとして変身を遂げた。動き回るのではなく、強打のチャンスをじっと窺うスタイルである。

こうした変化を経て、ワイルダーとの2戦目(2019年2月22日)を前に、「打ち合いに応じる」と述べたフューリーの言葉は概ね虚勢のように思われていたが、実際にそれをやってのけた。3回と7回に”ブロンズ・ボンバー(青銅の爆撃機)”と呼ばれる剛腕のワイルダーからダウンを奪い、7回TKOでの勝利を収めた。

両者の第3戦(2021年10月9日)はさらに激しい試合となった。序盤はワイルダーのボディ攻撃が効果を発揮したが、3回にはフューリーがダウンを奪った。ワイルダーもその次のラウンドで2度のダウンを奪い返した。しかし、フューリーが10回と11回にまたダウンを奪い、チャンピオンとして防衛に成功した。

結果としてこのワイルダーとの熾烈な3連戦(トリロジー)がフューリーの名声を不動のものとした。だからこそ、リング内外での多くの混乱と批判にもかかわらず、2022年4月23日のディリアン・ホワイト戦において、フューリーはウェンブリー・スタジアムに集まった94,000人の大観衆から母国・英国を代表するWBCチャンピオンとして大喝采を受けることができたのである。

(翻訳:角谷剛)

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Dom Farrell

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Dom is the senior content producer for Sporting News UK. He previously worked as fan brands editor for Manchester City at Reach Plc. Prior to that, he built more than a decade of experience in the sports journalism industry, primarily for the Stats Perform and Press Association news agencies. Dom has covered major football events on location, including the entirety of Euro 2016 and the 2018 World Cup in Paris and St Petersburg respectively, along with numerous high-profile Premier League, Champions League and England international matches. Cricket and boxing are his other major sporting passions and he has covered the likes of Anthony Joshua, Tyson Fury, Wladimir Klitschko, Gennadiy Golovkin and Vasyl Lomachenko live from ringside.