なぜNBAのレジェンドのひとりであるカリーム・アブドゥル=ジャバーがブルース・リーと戦っているのだ?
先週末米国内で放映されたESPNのドキュメンタリー番組『30 for 30』を見た人は、そんな疑問が頭に浮かんだかもしれない。このドキュメンタリーは1970年代に現れた世界的に有名な格闘家であり映画スターであったブルース・リーの生涯を追ったものだ。
リーは1973年に予期せぬ死を迎えた。しかしリーの伝説は現在も色褪せることはない。アブドゥル=ジャバーは当時ミルウォーキー・バックスに所属するNBAのスター選手だった。だが、アブドゥル=ジャバーとブルース・リーの関係は彼がプロ・バスケットボール入りする前から始まっていた。
UCLA (カリフォルニア大学ロサンゼルス校) 時代の出会い
アブドゥル=ジャバーは2019年8月16日に『The Hollywood Reporter』誌にコラムを発表し、クエンティン・タランティーノが監督を務めたハリウッド映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』においてのブルース・リーの描かれ方に対して不満を表明した。
アブドゥル=ジャバーはリーとの師弟関係はロサンゼルスで始まったと述べた。
以下はコラムの抜粋:
「私は初めてブルースに会ったとき、まだUCLAの学生でした。それより前にニューヨークで始めた武道をもっと学ぶことができる場所を探していたのです。私たちはすぐに師弟関係を結ぶと同時に友人同士にもなりました。リーは私に武道の自律と精神性を教えてくれました。私が20年間のNBAキャリアを数少ない故障で過ごせたのはそのおかげなのです」
アブドゥル=ジャバーは1971年にミルウォーキー・バックスをNBAチャンピオンに導いた。それはリーがハリウッドに衝撃を与え始めた時期と重なる。
リーのスター伝説の始まり
リーは全26話のテレビシリーズ『グリーン・ホーネット』(1966-1967)で初めて世間に知られるようになった。だが、リーの米国での映画俳優としてのキャリアは相次いで公開された映画によってもたらされた。『かわいい女』(1969)、『ドラゴン危機一発』(1971)、『ドラゴン怒りの鉄拳』(1972)、そして『ドラゴンへの道』(1972)である。
リーは『死亡遊戯』では映画監督としてのキャリアも始めた。アブドゥル=ジャバーはその映画の中で悪役の1人「ハキム」として出演している。
だがリーはこの映画が公開される前に死亡した。『死亡遊戯』の制作はリーが『燃えよドラゴン』の出演を依頼されたことによって中断されたが、制作途中で死亡したのだ。『死亡遊戯』はその後1978年まで完成されることはなかった(編集部注:CGIのない時代のため、代役や過去の作品の映像を流用して完成をみた)。
そのときアブドゥル=ジャバーはロサンゼルス・レイカーズで4年目のシーズンを迎えていた。
アブドゥル=ジャバー対ブルース・リーの伝説的ファイトシーン
リーは身長約172センチ。アブドゥル=ジャバーは身長約218センチ。両者の驚くべきファイトシーンは下のユーチューブ動画で見ることができる。
(翻訳:角谷剛)
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