バスケ少年だったバラク・オバマが、今なお大切にしているコーチとの絆【第1回】

Christian Shimabuku

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“バリー”・オバマにとって、バスケットボールは人生そのものだった。

幼稚園から高校まで一貫教育のプナホウ・スクールを1979年に卒業したバラク・オバマ、通称バリー。彼の高校生活は、片手に教科書を持ち、もう片方の手でバスケットボールをドリブルしているような日々だった。自宅から学校まで歩いていける距離だったこともあり、オバマは早めに学校へ行って、授業が始まるまで外のコートでシュートの練習をしていた。体育館に忍び込むことが出来れば、そこで練習する時もあった。外でも屋内でも練習し、昼休みでさえもシュートの練習に励んだ。チームでの練習が終われば、家に帰って夕飯を食べて、今度は公園に出かけ1~2時間、友人たちとバスケットボールをした。

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クリス・マクラクランは、オバマが高校3年生だった1978年から1年間、プナホウのバスケットボールチームのコーチを務めていた。マクラクラン自身も1964年にプナホウを卒業しており、在学中は男子バスケットボールの全国大会で3度優勝している。男子バレーボールのコーチも37年以上務め、全国大会で11回もチームを優勝へと導いた。そんなマクラクランにとって、オバマの試合に対する情熱は懐かしい思い出として残っている。

「私たちは彼をバスケットボール中毒者と呼んでいたよ。寝ても覚めても、バスケットボールのことばかりだった。私も学生の頃は同じようなものだったから、彼のことはよく覚えているんだ」とマクラクランは言う。

高校3年生の時、オバマはバスケットボールチームの1軍であったAAチームのメンバーに入ることが出来た。しかしそれは孤独な一年ともなってしまった。高校2年生の時に2軍のAチーム、1年生の時にはさらに下のJVチームに所属していたオバマ。AAチームは2年続けて2ポイント差で優勝を逃していて、チームの選手たちは結束を強めていた。そんな中にルーキーだったオバマは溶け込めなかったのだ。

オバマにとって高校最後の年のバスケットボールは、今まで人一倍やってきた努力の集大成になるだろうという気持ちがあった。しかし、AAチームで活躍する選手たちと肩を並べるだけの実力を、彼は持ち合わせてはいなかった。

プナホウは今も昔も大学進学率が高く、プロのスポーツ選手も多く育て上げている。1978年当時の選手たちもそれに違わず、チームのロースターの半分以上が大学でも様々なスポーツの世界で活躍した。ポイントガードだったラリー・タバレスは、野球でオレゴン州立大学に入学。またダリル・ガブリエルは、ハワイ州の1978年ゲータレード年間最優秀バスケットボール選手に選ばれ、ロヨラ・メリーマウント大学にてバスケットボールを続けた。高校1年生のセンターだったダン・ヘイルはバスケットボールでハワイ大学に入学し、その後、すぐ近くにある全米大学体育協会のディビジョンIIに属するシャミナード大学へと編入した。

そして、デビッド・“ボーイ”・エルドリッジはブリガムヤング大学でバスケットボールを続けた。ジョン・カマナはフルバックとして南カリフォルニア大学のアメリカンフットボールチームで活躍し、更にマーカス・アレンの側でNFLでもプレーをした。ベンチで座っていたダーリン・マウラーはスタンフォード大学でバスケットボールを続けた。

「あの頃のチームは強かった。優秀な選手が大勢いたからね」とマクラクランは話す。「僕は助言しないで彼らの好きなようにプレーさせたこともあったよ」。

だが、マクラクランは伝説の指導者として知られているジョン・ウッドンやディーン・スミスのようなコーチになるべく、昔ながらのやり方でチームを率いた。最初は7人か8人のローテーションで選手たちを起用していたので、オバマはメンバーに入る機会がなかった。また当時は3ポイントラインがなかったので、ウッドンのUCLAチームに倣い、ハイポストからの攻めや、ボールを回して得点をあげることを重視した。選手たちはスピードがあったので、相手選手にプレッシャーをかけながらディフェンスしていた。

「しっかりとした体格の選手が多かったので、軽くプレスをするだけで相手選手がエラーや転倒をしていた」とマクラクランは言う。

一軍選手たちは優れた体格以外にもマクラクランが立てた戦略を完璧に遂行した。

身長1.9メートルのオバマはハンドリングが上手く、ジャンプ力も優れていたので複数のポジションをプレーできる選手だった。今までの練習のおかげで彼の技術力の高さは明白だった。もし他のチームに所属していたら一軍でプレーしていただろうが、彼は二軍にいながら、一軍より少し多めにボールを転がして、荒っぽいプレーを好んだ。当時のオバマの守備に関して聞くと、マクラクランは顔をゆがめた。

「あの年代の若者はみんなそうだったが、バリーはオフェンスが好きだった」とマクラクランは答えた。「私はどちらかというと守備を重視する指導者だったが、彼は攻撃のほうが好きだったようだ。彼の守りが悪いとは言っていない。基本的なことはできるが、練習をして極めていたわけではなかったね。他の選手と同じようにシュートの練習をしていたよ」。

第2回へ続く)

Christian Shimabuku