さて、9回にマウンドで行われたミーティングについての話に戻ろう。
9回2アウト、ブレット・グレイが25奪三振という状況で、ウェアウルブスのダウアウトでアンディ・マッコーリー監督とブルース・グレイ投手コーチの間で行われていた会話は、こんな感じだった。
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アンディ「ブルース、マウンドへ行ってくれ」
ブルース「絶対に行くもんか。いや、行くわけがない」
アンディ「ブルース、今すぐ行け」
ブルース「絶対に行かない」
アンディ「行くんだ」
ブルース「オーケイ(口の奥で何かを言いながら)」
真実は、マッコーリーはなぜブルース・グレイをマウンドへ送り出したのか、彼自身よくわかっていなかったということだ。彼がわかっていたのは、もしブルースをマウンドへ送っていなかったら、チームのエースピッチャーであり彼が2年間信頼と尊敬をもって育ててきた選手が、9回2アウトでなお投げ続けることを止めるよう叫び訴えていたということだ。マッコーリーは、彼はするべきことをしたのだ。
メルビンを三振に斬った後、ブレット・グレイはダグアウトに向かって身体を動かし、何かを訴えた。「彼はケガをしたのか? と思ったよ」球審のジム・クレスマンは言った。
捕手のトニー・ジロはマウンドに走った。
「何が起きているのかわからなかった」ジロは言った。「『大丈夫か?』という感じだったよ。ブレットの目に涙が浮かんでいるのが見えた」
その涙は、痛みによるものではなかった。
「ファンはブーイングをして罵っていた、野蛮だった」グレイは言った。「父は三塁手の近くに歩いて、謝ったんだ。『私はブレットが何を求めているかわからないが、ブレットがここに来いというんだ』」。
グレイは深呼吸をして、父の目を見た。
「僕の結婚式で、僕のベストマン(付添人)をしてくれませんか?」
一瞬の静寂。そして涙。父と息子の。
「どう表現したらいいのかわからない。人生に何度かしかない瞬間のひとつだった」ブルース・グレイは言った。「完全に不意をつかれ、また最初はマウンドへ行くことに少しいら立っていたこともあって、より感情的になった」。
ブルースは笑顔で、ブレットにハグをした。言うまでもなく、父親は息子にとってベストマンなのだ。ブルースは子供の頃からブレットに野球を教え、息子が変わらぬ情熱と競争心を育む姿を見てきた。ブルースがウェアウルブスの投手コーチになったのは、ブレットがマッコーリーに提案したことが大きかった。ブルースとマッコーリーはすぐにつながった。
マウンドでのその完璧な瞬間は、両者にとって忘れ得ぬ瞬間となった。
「彼が父として、どれだけ誇りに感じていたか想像できない。あの日のことだけでなく、息子が自分の結婚式で自分をベストマンに指名したことにもね」マッコーリーは言った。「あれは極めて特別な瞬間だった」。
ジロはグレイとハイファイブをし、ホームプレートに戻っていった。まだ試合は終わっていない。打者ジェイソン・ベイカーへの2球目、ベイカーはボルゲーゼへのフライを打ち上げた。グレイは言う。試合の最後を三振で締めくくれなかったことを残念に思うか、よく人に訊かれる、と。
「あの1球は、あの試合のベストピッチだった。僕は本当に疲れていたんだ」彼は言った。「立っているのもやっとだった。疲れ切っていた。140球以上も投げたんだ。フラフラだったよ」。
ウェアウルブスが9-1で勝利したこの試合、グレイの最終成績は9回142球を投げて被安打3、1四球、1失点、25奪三振だった。25奪三振のうち、14が空振り三振。計31の空振りを奪った。見逃し三振が11あった。
グレイの忘れられないパフォーマンスの祝福は、夜まで続いた。ラバット・パークからジョー・クール、オネスト・ロウヤーといった、選手たちやシーズンチケット所有者の行きつけの場所で。
意外な場所でもまた、祝賀会が行われていた。敗れたペインツのチームバスだ。
「ボーイズ」ジョー・コラメコがチームメイトたちに呼び掛けた。「(今日の試合の)良かったことは、おそらく我々はついに彼(グレイ)を追い出したことだ」
ペインツの選手たちはグレイをリスペクトし、好いてもいたが、彼らはもう十分すぎるほどグレイを見てきていた。
「お祝いしたのを覚えているよ」サーベナックは言った。「『みんな、よくやったぞ!ブレットをリーグから追い出した!我々が成し遂げたんだ。ウェアウルブスを弱くしたぞ!』ってね」
メジャーリーグが25奪三振を無視できるはずがない、そうだろう?
試合が終わる前から、クーンはハウ・スポーツ・データと電話で話していた。試合終了後、彼はグレイのパフォーマンスについての言葉を、可能な限り広めることに躍起になった。
「ベースボール・アメリカの辞書を手に取った」彼は言った。「そして試合後のメモを、この国で見つけられる限りのメディアのありとあらゆるファックス番号に送ったんだ。僕は『こんなチャンスは1度しかない。どうする?とにかく世に出そう』という感じだった」。
彼の言葉が世に広まるまで、長くはかからなかった。かつてヤンキースを説得し、元NFL選手のジョン・エルウェイをドラフト指名させ契約にこぎつけた伝説の野球スカウト、ゲイリー・ヒューズは当時、シンシナティ・レッズのアシスタントGMだった。彼はグレイの25奪三振を耳にし、見通しは定かでなかったが契約をオファーした。グレイは他にもいくつかオファーを受けたが、最初にオファーを出したレッズと契約した。25奪三振の試合から、2日後のことだった。
(最終回へ続く)