その年の7月にニューヨーク・ヤンキースと契約し、最終的には2008年にフィラデルフィア・フィリーズで10試合プレーしたサーベナックは7回、グレイの初球を叩きレフトフェンスを超えるライナー性のホームランを叩き込んだ。あまり沈まないシンカーだった。
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サーベナックが初球を狙ったのには、理由があった。
「あの時点では、一体どうアプローチすればいいのか全くわからなかった」サーベナックは言った。「試合は7回で、彼が大量の三振を奪うのを見ていた。でも、打席でアグレッシブになることで、ど真ん中にラッキーな失投が来るかもしれない。彼のボールは素晴らしかったから、とにかくカウントが深くならないようにする必要があったんだ」。
一発を浴びたものの、グレイは7回に4つの三振を奪った。うち一つは、再びストライクゾーンを大きく外れてワンバウンドする投球での振り逃げだった。グレイは7回終了時点で117球を投げ、21奪三振。その時点でのMLB記録は20奪三振で、ケリー・ウッド(1998年)とロジャー・クレメンス(1986年、1996年)が記録。2016年にはマックス・シャーザーも記録した。
グレイは8回、さらに3三振を奪い、 計24奪三振となった。
断っておきたいのは、ペインツは打撃力の高いチームだったということだ。この日のラインナップに名を連ねた選手のうち4人は、シーズンで打率.315以上を記録。チームOPSは.800を超え、リーグ2位だった。しかし、この日はグレイに手も足も出なかった。
「ブレットがイニングを投げ終えた後、サーベナックがボールを拾って、何か物質がついていないか確認していたのを覚えている」コラメコは言った。「いかに彼を打つのが難しかったか、わかるだろう。彼のカッターはホームベースの幅くらい動いていた。尋常じゃなかった。あんなの打てるわけない。サービー(サーベナック)はボールを拾って言ったんだ。『そこに何も面白いことがないことを、確認しようと思ってね』」
そして?
「オー、ボールはこれ以上なく綺麗だ」サーベナックは笑いながら言った。「半分は冗談だが、あの日はあまりにも異常だったので、そうせざるを得なかったんだ。あんな投球は見たことがないので、もっともらしい説明が欲しかったんだ」。
9回に先頭打者として打席に立ったサーベナックは、再びバットにボールを当てた。外野フライを打ち上げた。センターのジェイソン・ボルゲーゼが落下点に入ると、実況アナウンサーのドク・パルマーはファンの声を代弁して「落とせ!落とせ!落とせ!」と叫んだ。「彼はボールを掴んでアウトになった。誰もハッピーじゃなかったよ」。
それは3回以降、グレイが三振以外で奪った最初のアウトだった。実に16のアウトを連続して三振で奪ったのだ。次打者のチャンス・メルビンは、ハーフスイングで25個目の三振を記録した。そしてグレイの父であり、投手コーチであるブルース・グレイが、ダグアウトから出てきてマウンドに向かった。
そのマウンド訪問についての話の前に、再び少し補足をしよう。
グレイは自身の登板日、自ら認めるプリマドンナだった。
「あれはひどかった」彼は言った。「僕は誰とも話したくなかった」。
グレイは5日置きに、試合でプレーしていた。彼は多くを求めなかった。ただ邪魔をされずに、自分のルーティーンをこなしたかった。
「彼はボブ・ギブソンみたいなタイプだ」マッコーリーは言った。「登板日は彼に話しかけてはいけない。ひとりにしておき、自分のことに集中させるんだ。それ以外のときは、彼はいつも最高の男なんだ」。
6月3日の試合開始予定時刻の25分前、グレイはレフト線の奥にあるブルペンに行き、ウォームアップを始めた。投球を試し、リズムを整える。全てがスケジュール通りに進んでいた。
少なくとも、彼が知っていた限りは。
ウェアウルブスは前年のリーグ覇者で、この日の試合前、セレモニーが予定されていた。選手たちが三塁線に並んだ頃、グレイはまだブルペンにいた。一度ウォームアップを始めたら、彼は止めなかった。止められなかった。それが彼のルーティーンであり、理想的な時間にマウンドに上がれるようになるのだ。
コミッショナーのビル・リーがホームベース付近に来て、マッコーリーと選手たちに優勝旗を贈呈し、いくつか言葉を述べた。それからリングの贈呈式が行われた。1999年にチームの一員だったウェアウルブスの全選手と全コーチが、ひとりひとり紹介された。名前だけでなく、簡単な紹介と共に。
スタジアムは満員だった。天気は素晴らしかった。4732人の観客は、セレモニーの全ての瞬間を楽しんだ。「ジョン・クーン(球団社長)は永遠にリングセレモニーの話をするんだ」とブルース・グレイは言った。
リング贈呈式の後、記念すべき始球式が行われた。複数の投球者によって。それから、ラインナップ表が交換された。そして、選手たちは地元のリトルリーグチームの選手たちに紹介されながら、各自のポジションについた。米国、それからカナダの国歌が流れた。そして再び、記念すべき第1球を迎えた。
「試合前のイベントが、試合と同じくらいの時間かかるんじゃないかと思ったよ」ロンドン・フリー・プレスのスポーツ編集者、デイブ・ラングフォードは放送中にそう言った。
ペインツの1番打者、グレグ・ストリックランドが打席に入ってグレイが第1球を投じるまで(もちろんストライクだった)、ウェアウルブスの選手たちが整列してから21分以上が経っていた。グレイのルーティーンにとっては、長すぎる時間だった。
「僕はうんざりしていて、汗だくで、もう仕上がっていて、疲れている」グレイは言った。「17回くらいFワードを使って、アンディに言ったんだ。3イニング投げて、今日はもう終わりだ。僕はもう100球以上投げて、とても消耗している」。
「ブレットはブルペンにいる時間が長すぎて、怒っていた」ブルース・グレイは言った。「たぶんそれが良かったんだろう」
グレイのことをよく知る人は“ボブ・フェラーの話”を話したがる。それこそが、グレイの試合前の精神状態を説明する完璧な話だからだ。
フェラーはMLB史上最高の右投手のひとりで、難なく野球殿堂入りを果たした。彼はまた、自身の考えを述べることを恐れず、後に喧嘩っぱやい男と評されるようになる。ウェアウルブスは1999年シーズン序盤、試合前の始球式にフェラーを呼んだ。ロンドンを本拠地にしてから最初のシーズンだった。
「フェラーは遅れていたから、僕はマウンドに行ってウォームアップを始めた」グレイは言った。「僕がウォームアップを終えた後、彼はついに到着した。彼は始球式を行い、僕を見て、握手をした。彼は言ったよ。『もしあれが君が持つボールの全てなら、今日は長い1日になるな』って」
マッコーリーがお気に入りの話は、これだ。「ブレッドは彼(フェラー)に言ったんだ。『シャットアップ(黙れ)、ボブ』ってね」
おそらくグレイは、もう少し丁寧な言葉を使っていた。
「相手がボブ・フェラーだろうが大統領だろうがカナダの首相だろうが関係ないんだ」マッコーリーは言った。「ブレットはただ準備をしていた。しかし、そう、ボブ・フェラーはミスター・グレイのウォームアップを見て、その投球に感銘を受けなかった」。
父のブルース・グレイはそのとき、マウンドにいなかった。「あるいは、殴り合っていたかもしれないね」彼は笑いながら言った。
(第3回へ続く)
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