25奪三振を達成した男:ブレット・グレイの物語 〜サイドストーリー〜【後編】

Ryan Fagan

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人生に様々な側面があるように、適切な時に適切な場所にいれば、ブレット・グレイの25奪三振の試合の物語を大きく左右する役割を担うことができた。

1998年5月のNAIAワールドシリーズにてオクラホマ・シティ大学の優勝を支えた後、グレイはフロンティアリーグに加盟するイリノイ州スプリングフィールドの球団のトライアウトに参加し、その散々な結果に不満を抱いていた。また、6月初旬のMLBドラフトで指名されなかったことにも失望していた。

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「彼の大学時代のコーチを務めていたキース・リトルとは古くからの知り合いなんです」そう話すのはアンディ・マッコーリーだ。「キースは私に電話をかけてきて『おい、ちょっとこの子を使ってみて、君の役に立てるか見てくれないか?』と言ってきたんです。彼はちょうどカラマズーを通ってオンタリオに帰宅する途中だと言っていたので、私は『もちろん』と答えました」。

1998年当時、マッコーリーはカラマズー・コディアックスの監督を務めていた。しかし、チームの状況は芳しくなかった。実際、1998シーズンの後には本拠地をカラマズー(ミシガン州)からロンドンへと移し、ロースターを刷新した。しかし、1998年にはマッコーリーはチームの支えとなりそうな投手は誰でも迎え入れる姿勢だったので、リトルに「11時までにグレイに電話する」と伝えた。だが、それまでの出来事が影響し、グレイは楽観的に物事を考えることができなくなっていた。もしも電話が11時1分に鳴ったら、彼は電話に出ないことにすると決めていたのだ。

「11時きっかり。電話が鳴ったんです」グレイは笑いながらそう話した。「カラマズーからでした」。

カラマズーは、グレイのオンタリオへの帰り道の途中にあった。彼はトライアウトが始まると思い、車を止めた。しかし、その晩、大きな暴風雨前線がその地域を通過する予報が出ていた。トライアウトの試合開始時刻には前線の影響はないだろうが、試合が終盤に入る前には確実に大荒れとなるだろう。チーム側は早く試合を始めて、獲得または解雇する選手を決めたかったが、マッコーリーは最高の先発投手と貴重な勝ち星の可能性を無駄にしたくなかった。

そこでマッコーリーは、リトルの推薦だけを頼りにグレイと契約することを決めた。その当時の最悪のシナリオは、グレイがとんだ役立たずで、リッチモンド・ルースターズに敗れ、試合の後に彼を放出するというものだ。

「つまり私たちは、彼にユニフォームを着せて試合の中に放り込んだんです」マッコーリーはそう話した。「彼はモーガン・バークハートから二度も三振を奪ったのです。そこで私たちは『この子は我々を助ける何かを持っているぞ』と考えました」。

グレイは防御率4.55でそのシーズンを終えた(優れた守備を備えておらず、チームの防御率は6.42だった)。そして、翌1999シーズンには、マッコーリーのチームを根本的に変えるプランの中で大きな役割も担うこととなった。ロンドンへの本拠地移転が発表された時、マッコーリーはスタッフの育成を決めていたのだ。

「フロンティアリーグでは、1年過ごせばかなりのベテランです」グレイはそう話す。「ロンドンに行くなら、地元の人を引き入れるべきです。だから、『ねえ、僕の父を面接してみて、気に入ったら採用してよ。父ならいつも試合を見に来ているし。やるだけやってみてよ』って話したんです」。

マッコーリーはやってみせた。

「アンディーから、ピッチングコーチの役職の面接を受けたんです」。そう話すのはブレットの父、ブルース・グレイだ。「最初の質問は、『打撃練習用の球を投げられる?』でした。私は『ええ、もちろん。毎日投げている』と答えました。それがきっかけで、そこで働くことになったんです」。

「彼は良いコーチです。野球についてよく理解している。そして、選手たちから尊敬の念を得るのも早いんです」

マッコーリーは地元の有力選手を獲得することを最優先とし、それが功を奏した。1999年にロンドンはリーグ最多の54勝を挙げ、2つのプレーオフで4勝0敗を記録しチャンピオンシップを制覇した。

「1999年と2000年のチームには、プロ野球界でプレーする機会がなかったカナダ人プレーヤーが多くいた」とマッコーリーは話す。「ブレットとブルースは、一緒にプレーして育った仲間や、アメリカの大学野球でプレーしてきたが所属するチームがなかった選手たちでチームをまとめた。そのチームにはかなりの数のカナダ人のプレーヤーがいて、それが非常に親密で特別なチームを作った。独立リーグの野球は、それこそが全てなんだ」。

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あの幻のような25奪三振は、関係者にとってどれほど大きな意味を持っていたのだろうか。

マッコーリーはエバンズビル・オッターズの監督としてフロンティアリーグに戻ってきた。電話で話したとき、チームはサザンイリノイ・マイナーズとのシリーズで遠征中だったが、彼は以下のような貴重な話をしてくれた。

「まだその25奪三振のTシャツをロッカーに入れているんだ。あのとき以来いつでも肌身離さず持っていっている」と彼は続けた。「ロッカーに掛けておくTシャツのうちの1枚なんだよ」。

※本記事トップ画像は、現在フロンティアリーグのエバンズビル・オッターズの監督を務めるアンディ・マッコーリーと、いまでも遠征に持っていくという25奪三振のTシャツ。

このTシャツは、グレイの歴史的な偉業の直後に、球団社長兼GMのジョン・クーンがつくった。この記事を書くためにインタビューをした全員が彼のことを「ビル・ベックの血を引き継ぐマーケティングの天才」と呼んでいたのだが、それは彼の行動力を讃えてのことだ。

「次にチリコシー・ペインツと対戦したとき」とクーンは言った。「彼らがバスから降りてくるとその中の一人が私が着ていたそのTシャツを見て、私をつかんで言ったんだ。『そのうちの3つは俺のものだ』ってね」。

「私は野球人生の中でフロンティアリーグでもノーザンリーグでもカナディアン・アメリカリーグでも相当な数のノーヒット・ノーランを目の当たりにしてきたが、あれを超えるピッチングパフォーマンスが生まれることはないだろう」とマッコーリーは言った。「完全試合は見る価値があるが、25奪三振のパフォーマンスは完全試合よりも優位と言ってもいい。あれは間違いなく私が見た中で最も優れたピッチングパフォーマンスだった」。

(完)

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原文:The inside story behind the inside story of Brett Gray's 25-strikeout performance

翻訳:日本映像翻訳アカデミー

Ryan Fagan

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Ryan Fagan, the national MLB writer for The Sporting News, has been a Baseball Hall of Fame voter since 2016. He also dabbles in college hoops and other sports. And, yeah, he has way too many junk wax baseball cards.