25奪三振を達成した男:ブレット・グレイの物語 〜サイドストーリー〜【前編】

Ryan Fagan

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今から18年前の6月4日午前7時13分、セント・チャールズ・カントリー・ジャーナル紙のスポーツ部門のファックス機に一報が届いた。

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フロンティアリーグから届いた2枚の文書がトレイに滑り落ちた時、私はオフィスにはいなかった。それは日曜の朝のことだった。そこに記された「ブレット・グレイ、チリコシー・ペインツから25奪三振」の見出しを見てボックススコアを確認すると、私はすぐさまこの野球界の一大事についての記事が書きたくなった。その夏の私の担当記事は同じくフロンティアリーグに加盟するリバーシティ・ラスカルズについてのものばかりで、25奪三振についての物語を伝えるという思い付きは、とても魅力的なものだった。

私は、送られてきたファックスを重要書類の山の上に置いた。しかし、グレイはそれから1日か2日後にシンシナティ・レッズとの契約を交わしてしまい、その年の残りの夏は、例年通りあっという間に過ぎ去ってしまった。そして、私がグレイの記事を書くこともなかった。

話は今から数か月前まで進む。私は引っ越しの作業中で身動きが取れない状態になっていた(ただの比喩ではなく、文字通りの意味で)。その時私は、ジャーナル紙に勤務していた時代の箱の中から、あのファックスを偶然見つけたのだ。「ついに」私はこう思った。「このブレット・グレイという男を見つけ出せるか試してみようじゃないか」と。

すぐにグーグル検索をかけると、あの日のロンドン(カナダ、オンタリオ州)・ウェアウルブスでの彼の偉大なパフォーマンスに関連する多くの検索結果が現れた。その多くは要点をまとめただけの簡潔なものだったが、グレイのインタビューを含む記事も二つほど見つかった。しかし、そこには「この記録を誰か越えてみろ」、といったような、声高々に叫ばれた発言はなかった。

当初私は、すぐに思い出せる話として、ケリー・ウッドが1998年に記録した20奪三振の記念日が近かったので、その記事を書こうとしていた。しかし結局、私はグレイの母校であるオクラホマ・シティ大学に連絡を取っていた。そして5月1日、グレイから私宛にEメールが送られてきたのだ。私は彼にこれまでの経緯を伝えた。彼の返答によって事態は次の段階へと進んだ。

「あの夜に至るまでにはたくさんのことがあったんです。信じられないかもしれませんが、この物語は試合の内容よりも良くできたものです。きっとこの出来事にあなたは感謝することになりますよ。映画の脚本用にだってこんな話は書けませんからね」。グレイからのメールにはそう記されていた。「私の話が本当に素晴らしい野球の物語として思い出に残ることを楽しみにしています。試合内容も同様に素晴らしいものでしたがね。近々、実際に会って話しましょう」。

私たちの初めての会話となった最初のインタビューは1時間近くにも及んだ。また、私はフロンティアリーグのコミッショナーを務めるビル・リー氏(あの元野球選手のビル・リーではない)とラスカルズの担当をしていた時からの知り合いなので(彼はリーグの設立以来25年間一人でコミッショナーを務め続けている)、彼にも連絡を取っていた。彼は私に、25奪三振の試合でウェアウルブスの監督を務めていたアンディー・マッコーリー氏と、チームプレジデント兼GMのジョン・クーン氏の連絡先を教えてくれた。彼らとのやり取りは、より多くの人との接触と対談につながった。17のインタビューを終え、当初は500ワード程で収める予定だった記事は、4700ワードにも渡る本格的な特集へと膨れ上がった。

その記事を読んでもらえることを望んでいる。最後にこれほど楽しく取材と執筆ができたのはいつのことだろうか。もしもあなたがこの姉妹編をここまで読んでいれば、きっとその本編記事にも目を通してもらえたことだろう。皆さんがご想像の通り、そこには無数のサイドストーリーと細かな出来事、いくつかのインタビューがあったのだが、話の本筋からは逸れてしまうため記事内に収めることができなかった。

そこで、それらのサイドストーリーをこの記事に記そう。

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まずはフロンティアリーグについてだ。

個人的には、私がフロンティアリーグをどれだけ愛しているのかを説明するのは難しい。私はそのリーグを取材する数少ない記者の一人であり、定期的に車で会場まで足を運んでいた。そしてその経験が、若きスポーツライターであった私に、スポーツを記事にする際に大事となる多くのことを教えてくれた。

フロンティアリーグは独立リーグで、どのMLBチームの傘下にも属していない。アトランティックリーグや、かつて存在したノーザンリーグといった独立リーグとは異なり、フロンティアリーグは歳を重ねたMLB選手がキャリアを延ばすために所属する場所ではない。フロンティアリーグは、MLB傘下のチームの目に留まらなかった若手選手に対して、もう少しだけ長く、自身の夢の始まりを追い求める機会を与えるための場だ。

そのため、フロンティアリーグには年齢制限が設けられている。その年の1月1日時点で27歳を迎えている選手は所属できないのだ。フロンティアリーグに所属する全選手の目標はリーグを去ることであり、リーグ側も当然それを推奨している。

その共通の目標がゆえに、選手の間には仲間意識がある。

「間違いなく、同じキャリアを歩んでいても応援したくなる選手がそろっていますよ」そう語るのはマイク・サーベナック。グレイがあの夜記録した25奪三振のうち二つの三振を記録した人物だ。「もちろん、自分自身も崖っぷちです。組織は選手への投資をしませんし、チャンスを得るためにはがむしゃらに働く必要があります。でも、他の選手の成功も望むようになります。自分にもそれが成し遂げられたような、名誉の印とも言える親密な関係性を感じるんです」。

サーベナックは、グレイとの対戦の1か月半後に打率.358という記録を残し、ニューヨーク・ヤンキースと契約を結んだ。ダブルAのリーグでは好成績を収め、トリプルAではヤンキース、ジャイアンツ、フィリーズの傘下チームを渡り歩き、2008年には31歳にしてついに念願のMLBデビューを果たした。しかし、その後はトリプルAで手堅い成績(トリプルAでは995試合に出場し、キャリア通算打率は.296)を記録したものの、再度大リーグに招集されることはなく、2013年にトリプルAのトレド・マッドヘンズで打率.291を記録した後、37歳で現役を引退した。

サーベナックは、フロンティアリーグに在籍した後にメジャーの舞台に立った35選手のうちの一人だ。右腕のブライアン・トールバーグはフロンティアリーグ出身者で初のメジャーデビュー達成者だ。彼は2000年のグレイの25奪三振の試合から僅か17日後にサンディエゴ・パドレスの選手としてメジャーの舞台に立った。そして、モーガン・バークハート(フロンティアリーグでの最後の年にはリッチモンド・ルースターズにて80試合に出場し、打率.404、36本塁打、OPS1.414を記録した選手)もその僅か1週間後に2番目の卒業生として大リーグデビューを果たした。そして、ブレンダン・ドネリーは2003年にフロンティアリーグ出身者で初のMLBオールスター出場者となった。

フロンティアリーグの卒業生たちは今年2018年にも野球界に衝撃を与えている。ホゼ・マルティネスは、セントルイス・カージナルスにて11本塁打とOPS.865を記録しており、タナー・ロアーク(フロンティアリーグでの3度の先発で防御率21.41を記録してしまった選手)は2014年以降ワシントン・ナショナルズの先発ローテーションに定着している。その他にも、トレバー・リチャーズ(マーリンズ)、ビダル・ヌーニョ(レイズ)、ドリュー・ルシンスキー(マーリンズ)、ジョシュ・スモーカー(パイレーツ)といった選手が今シーズン大リーグで戦っている。

25奪三振の試合の当事者である2チーム(ロンドン・ウェアウルブスと、チリコシー・ペインツ)には、2000シーズン中にMLBの組織と契約を結んだ選手が合計12名もいた。

中編へ続く)

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Ryan Fagan, the national MLB writer for The Sporting News, has been a Baseball Hall of Fame voter since 2016. He also dabbles in college hoops and other sports. And, yeah, he has way too many junk wax baseball cards.