韓国と決勝で球史に残る激闘、不振イチローが劇的決勝打…第2回(2009年)WBCを振り返る|侍ジャパンが大会連覇

永塚和志 Kaz Nagatsuka

韓国と決勝で球史に残る激闘、不振イチローが劇的決勝打…第2回(2009年)WBCを振り返る|侍ジャパンが大会連覇 image

日本がさまざまなドラマを経ての優勝を果たしてから3年。ワールド・ベースボール・クラシックが2009年3月、第2回大会を迎えた。日本では、2006年にこのイベントがなんたるものか、どれだけ興奮をもたらすものなのかは知れわたり、大会前から高い熱量が生み出されていた。
 
このWBCで日本は、原辰徳監督(読売巨人軍)の下、イチロー(シアトル・マリナーズ)や松坂大輔(ボストン・レッドソックス)、福留孝介(シカゴ・カブス)、小笠原道大(巨人)、川崎宗則(福岡ソフトバンクホークス)といった前回大会を知る面子に加え、ダルビッシュ有(北海道日本ハムファイターズ)、田中将大(東北楽天ゴールデンイーグルス)、中島裕之(埼玉西武ライオンズ)、内川聖一(横浜ベイスターズ)、城島健司(マリナーズ)といった日米のトップ選手を招集し、第1回大会以上のチームを編成し、臨んだ。
 
結果、大会フォーマットの変更で変則的なスケジュールとなるなか、韓国との死闘となった決勝戦を劇的な形で制し、連覇達成となった。

連覇を目指し順調に勝ち上がる日本 キューバ戦では秘策光る

この第2回大会は、1次および2次ラウンドにおいて同一ラウンド内で2度敗戦すると大会敗退となる「ダブルエリミネーション」方式が採用されるという変更点があった。これにより、日本は全9試合中、韓国と5度、キューバと2度対戦する形となった。

このため、前回大会に続いて日本のハイライトは再び韓国との激闘となった。東京ドームで行われた1次ラウンドの両者の初戦では日本が14−2と大勝を収めるも、翌々日の再戦では、日本の先発・岩隈久志(東北楽天)の好投虚しく、相手の先発左腕・ポン・ジュングンを捉えられず0-1で敗れ、グループ2位通過となる。
 
サンディエゴのペトコ・パークに移しての2次ラウンド。日本は初戦でキューバと対戦。2度負けたら敗退ということを考えると落とせない試合だったが、先発の松坂が6回、8奪三振、無失点の好投で強打の相手を封じ込めた。キューバはのちにヤンキースなどの抑え投手として活躍することになる最速169キロ左腕、アロルディス・チャップマン(現カンザスシティ・ロイヤルズ)が先発も、最初の2回で3四球を記録するなど不安定で3回途中で降板。日本はこの3回に5安打を集中して3点をもぎ取り、その後も加点して6-0の快勝となった。
 
日本勝利の肝はやはり松坂が相手を封じたことだったが、そのなかで日本バッテリーとキューバの間の、国際大会ならではの心理戦があった。キューバは日本に言葉がわからないことを利用して捕手・城島がミットを構える位置をベンチから打者に伝えていたのだが、日本バッテリーはそこを逆手にとって、城島の構える位置とは逆のコース、いわゆる「逆球」を意図的に投げることで相手を幻惑させたのだった。
 
日本は問題なく完勝したかのようにも見えるが、ともにメジャーリーグでプレーする松坂と城島の経験によって国際大会ならではの「化かし合い」に勝利した成果でもあった。

そして、中1日で行われた次戦の韓国戦。日本は先発のダルビッシュが初回に3失点を喫し、打線もポン・ジュングンのしたたかな投球術のまえに得点できない。日本は8回、敬遠1つを含む4つの四球で押出の1点を献上してしまう。日本打線は7安打を記録したが、4安打の韓国に1-4の敗戦となった。

日本は翌日、ロサンゼルスでの決勝ラウンド・準決勝進出をかけてキューバと対戦する。負ければ大会敗退となるこの試合、日本の先発・岩隈久志(東北楽天)が6回を投げて被安打5の好投。打っては3番・青木宣親(東京ヤクルト)による4安打、2打点の活躍などもあって、中盤以降得点を重ね、日本は5-0で勝利した。

すでに決勝ラウンド進出の切符を得た日本は、韓国との4度目の対戦を6-2で制し、2次ラウンド1組を1位で通過することとなった。

場所をドジャースタジアムへ移しての準決勝。日本の相手は、2006年大会で「世紀の誤審」の末に敗れた因縁の相手アメリカとなった。日本の先発・松坂は序盤の3イニングで2点を与えてしまうも、日本は4回、岩村の適時三塁打など計5安打で一挙5点を挙げ逆転しペースをつかむ。アメリカは8回表に2点を入れて追い上げるが、その裏、日本は中島の2点適時打などで3点を加え勝負を決定づける。

9回裏には、先発として調子がいまひとつのダルビッシュが抑えに回り、登板。奪三振2、無失点で試合を締め、日本は9-4で快勝。2大会連続で決勝戦に駒を進めた。

▶あなたは野球に詳しい? 野球世界一決定戦の勝敗を予想して純金小判を手に入れよう!

決勝で宿敵・韓国と野球史に残る激闘…イチローの劇的決勝打

決勝戦の相手は、準決勝でベネズエラに完勝した韓国。この大会、5度目の対戦は、WBC史上最高の試合の呼び声も高い、息を呑む激闘となった。

3-2でリードの日本は9回、再び抑えのマウンドにダルビッシュを送る。が、右腕は2四球を与えるなど不安定で、そして李机浩(ハンファ・イーグルス)に二死から甘く入ったスライダーを左翼に運ばれ、同点に。試合は延長へ突入する。

しかし、ドラマは最後の最後に訪れた。10回表、日本は内川と岩村の安打で走者2人を出て、二死で打席が回ってきたのがイチローだった。イチローは決勝戦までの8試合で38打数8安打。得点圏では13打数2安打と不振だったが、この試合では蘇り、この打席まですでに3安打を記録していた。

そしてこの息を呑む自身第6打席。イチローは韓国の守護神・イムチャンヨン(東京ヤクルト)がサイドスローから繰り出すくせのある球の軌道をファールで辛抱強く見極め、外角やや低めに入ってきた8球目の高速シンカーをきれいに中前へ跳ね返し、日本に勝ち越しの2点をもたらした。

その裏、続投したダルビッシュは先頭打者を歩かせるも、後続を抑える。最後は9回には曲がらなかったスライダーで三振に打ち取って、死闘に終止符。捕手・城島はダルビッシュに駆け寄り、その他の選手たちも遅れてマウンドに押し寄せた。日本がWBC連覇を達成した瞬間だった。

この試合には超満員となる5万4千人の観客が球場を訪れた。アメリカのベテラン記者は「これまでみたなかでももっとも激烈な試合だった」と振り返った。日韓のファンは、それがまったく大げさでないほどの、異様な熱量をもたらした。

決勝まで不振だったイチローと仲間の助け

大会ベストナインには松坂、岩隈、青木の3選手が日本から選ばれた。MVPには3勝0敗、防御率2.45の松坂が2大会連続で選出。しかし、決勝戦で日本が9回で試合を終えていれば勝ち星がついて2勝1敗、防御率1.35の岩隈があるいは栄誉を得ていたかもしれない。

だが、そんなことよりも、主役はやはりイチローだった。上述の通り、決勝戦まで打撃不振だった。そんな苦しむスーパースターを見て、亀井善行(巨人)や内川ら若手を中心に、練習でイチローのようにソックスを見せるオールドスタイルで履くことで、無言の激励をした。

はたして、決勝の韓国戦でイチローは蘇り、最後にはドラマチックな決勝打まで打ったのだった。第1回大会では彼自身がチームを牽引する立場にあったが、この2009年大会では反対に、チームメートから助けを得た形となった。

その決勝打を放ち、二塁まで到達したイチローは、シーズン中と同じように表情を崩すことなく振る舞った。試合後「普段のゲームと変わらないのがぼくの支え」と振り返った。だが一方で「ベンチを見たら泣いてしまいそうだった」と、“天才”と称される彼も人間なのだというところも見せた、そんな大会にもなった。

2009年WBCの侍ジャパンメンバー

位置 背番号 氏名 所属 投 打 生年月日
投手 11 ダルビッシュ 有 北海道日本ハムファイターズ 右 右 1986. 8.16
投手 14 馬原 孝浩 福岡ソフトバンクホークス 右 右 1981.12. 8
投手 15 田中 将大 東北楽天ゴールデンイーグルス 右 右 1988.11. 1
投手 16 涌井 秀章 埼玉西武ライオンズ 右 右 1986. 6.21
投手 18 松坂 大輔 ボストン・レッドソックス 右 右 1980. 9.13
投手 19 岩田 稔 阪神タイガース 左 左 1983.10.31
投手 20 岩隈 久志 東北楽天ゴールデンイーグルス 右 右 1981. 4.12
投手 22 藤川 球児 阪神タイガース 右 左 1980. 7.21
投手 26 内海 哲也 読売ジャイアンツ 左 左 1982. 4.29
投手 28 小松 聖 オリックス・バファローズ 右 右 1981.10.29
投手 31 渡辺 俊介 千葉ロッテマリーンズ 右 右 1976. 8.27
投手 39 山口 鉄也 読売ジャイアンツ 左 左 1983.11.11
投手 47 杉内 俊哉 福岡ソフトバンクホークス 左 左 1980.10.30
捕手 2 城島 健司 シアトル・マリナーズ 右 右 1976. 6. 8
捕手 10 阿部 慎之助 読売ジャイアンツ 右 左 1979. 3.20
捕手 29 石原 慶幸 広島東洋カープ 右 右 1979. 9. 7
内野手 6 中島 裕之 埼玉西武ライオンズ 右 右 1982. 7.31
内野手 7 片岡 易之 埼玉西武ライオンズ 右 右 1983. 2.17
内野手 8 岩村 明憲 タンパベイ・レイズ 右 左 1979. 2. 9
内野手 9 小笠原 道大 読売ジャイアンツ 右 左 1973.10.25
内野手 25 村田 修一 横浜ベイスターズ 右 右 1980.12.28
内野手 52 川崎 宗則 福岡ソフトバンクホークス 右 左 1981. 6. 3
内野手 5 栗原 健太 広島東洋カープ 右 右 1982. 1. 8
外野手 1 福留 孝介 シカゴ・カブス 右 左 1977. 4.26
外野手 23 青木 宣親 東京ヤクルトスワローズ 右 左 1982. 1. 5
外野手 24 内川 聖一 横浜ベイスターズ 右 右 1982. 8. 4
外野手 35 亀井 義行 読売ジャイアンツ 右 左 1982. 7.28
外野手 41 稲葉 篤紀 北海道日本ハムファイターズ 左 左 1972. 8. 3
外野手 51 イチロー シアトル・マリナーズ 右 左 1973.10.22

*チームは当時の所属


■試合結果を予想して豪華景品をゲットしよう!

遊雅堂(ゆうがどう)無料版では「スポーツ番付勝利予想」を実施中。やり方は、対象の試合結果を予想するだけ。当たれば豪華景品がゲットできるかも!?

▶無料エントリーはこちらから


関連記事

永塚和志 Kaz Nagatsuka

永塚和志 Kaz Nagatsuka Photo

茨城県生まれ、北海道育ち。英字紙「ジャパンタイムズ」元記者で、プロ野球やバスケットボール、陸上など多岐にわたる競技を担当。現在はフリーランスライターとして活動している。日本シリーズやワールド・ベースボール・クラシック(WBC)、バスケットボール世界選手権、NFL・スーパーボウルなどの取材経験がある。